ワンオペでご飯を作りたくない夜に|利き手骨折中の母が選んだ“作らない”という判断

疲れた一日の終わり、赤ちゃんを抱きしめながら静かに気持ちを整える母親の姿 骨折と暮らしの工夫
「今日も、ちゃんとここまで来られた。」
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夕方になると、心がざわつく理由

夕方になると、決まって胸の奥がざわざわし始める。
時計を見るたびに、「そろそろご飯を考えなきゃ」と思うのに、体がついてこない。

右手を骨折してから、
料理は“大変”というより、“怖い”ものになった。
包丁も、火も、重たい鍋も、
全部が少しずつ不安で、全部が時間を取る。

それでも、みいちゃんはお腹が空く。
ワンオペの夕方は待ってくれない。

「今日は作りたくないな」
そんな気持ちが頭に浮かんだ瞬間、
同時に、胸の奥で小さな罪悪感が動く。

作らないって、手を抜くこと?
母親失格?
それとも、ただ疲れているだけ?

この日は、
“ちゃんとしたご飯”を作れなかった日かもしれない。
でも、
それでも一日を回しきった、
しおりの夜の話です。

もし今、同じように「今日はもう無理かも」と感じているなら、
この話は、あなたのためのものかもしれません。

右手を骨折した母親が、夕方の部屋で赤ちゃんを抱きながら静かに座っている様子。疲れた表情の中に安心感があり、ワンオペ育児の一日の終わりを感じさせるイラスト。
一日をなんとか終えて、ようやく座れた夕方。
うまくできなかったこともあるけれど、それでも今日を乗り切った夜。
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      1. 夕方になると、心がざわつく理由
  1. ワンオペで「ご飯を作りたくない」と思ってしまう日
    1. 「作りたくないな」は、少しずつ積み重なっていく
    2. 1歳になると、できることと心配が同時に増える
    3. 夕方になっても、頭は休まらない
    4. 一日中続く、小さな判断の積み重ね
    5. 利き手を骨折すると、判断はさらに重くなる
    6. ご飯を考えるだけで、心が重くなる理由
    7. 1歳の子育ては、判断と見守りが増える時期
    8. 「作りたくない」と思った瞬間に、責めてしまう
    9. それは、限界が近いというサインだった
  2. 利き手を骨折していると、ワンオペは限界が早く来る
    1. 利き手を骨折すると、できなくなることが一気に増える
    2. 片手になると、動くたびに考えるようになる
    3. ワンオペの日は、もともと余白がない
    4. キッチンで起きた、ほんの一瞬の迷い
    5. 火を止めるか、抱き上げるか
    6. 守りたいのに、すぐに動けないもどかしさ
    7. 「危なくならないように」張り続けている状態
    8. 小さな緊張が、静かに積み重なっていく
    9. 立ち止まりたいと思っても、止まれない
    10. それは、能力の問題じゃない
    11. 「作りたくない」は、弱さじゃない
  3. 「今日は作らない」と決めた日のご飯
    1. 「作らない」と決めるまで、何度も迷っていた
    2. 「もう十分だった」と思えるほど、今日はやってきた
    3. 今日を無事に終えることを、いちばんにする
    4. 1歳の食事は、「見守る時間」でもある
    5. 大人のご飯は、どうしても後回しになる
    6. 「ちゃんとしたご飯」を、今日の基準で考える
    7. 今日は、安全に終えられた。それで十分
  4. 作らなかった夜も、しおりはちゃんとやっていた

ワンオペで「ご飯を作りたくない」と思ってしまう日

「作りたくないな」は、少しずつ積み重なっていく

「作りたくないな」
その気持ちは、突然わいてくるというより、少しずつ積み重なっていく。

朝からずっと気を張って、
子どもの様子を見て、
転ばないように、危なくないように、
片手でできることを探し続けてきた。

1歳になると、できることと心配が同時に増える

1歳のみいちゃんは、
できることが一気に増えてきた時期だった。

歩けるようになって、
行きたいところに自分で向かって、
気になるものを見つけると、
迷わず手を伸ばす。

それは成長でもあるけれど、
同時に、目を離せない時間が増えたということでもあった。

夕方になっても、頭は休まらない

気づけば、もう夕方。
体は疲れているのに、頭は休まらない。

ワンオペの一日は、
「考えること」がとにかく多い。
何を食べさせるか、
今この動きは安全か、
泣いたらどうするか、
次に何を優先するか。

一日中続く、小さな判断の積み重ね

みいちゃんが歩き出すたび、
テーブルの角は大丈夫かな、と目で追う。
床に落ちているものはないかな、と確認する。
キッチンに近づけば、
引き出しやゴミ箱のことが気になる。

一つひとつは小さな判断でも、
それが一日中、途切れず続いている。

利き手を骨折すると、判断はさらに重くなる

右手を骨折してからは、
その一つひとつに、余分な確認が必要になった。

火は大丈夫かな。
包丁は使えるかな。
片手で支えながらの動きは、危なくないかな。

抱っこしてあげたい場面でも、
すぐに応えられないことがある。
泣き声を聞きながら、
「ちょっと待ってね」と声をかけるたび、
胸の奥がきゅっとなる。

ご飯を考えるだけで、心が重くなる理由

そんなことを考えているうちに、
ご飯のことを考えるだけで、
心が少し重くなる。

「やる気がないわけじゃない」
「手を抜きたいわけでもない」

ただ、
これ以上もう一段、がんばる力が残っていないだけ。

夕方のキッチンで立ち尽くす母親。食事の準備を前に、疲れと不安が入り混じる表情を浮かべている。
「そろそろ作らなきゃ」と思うほど、体が動かなくなる時間帯がある。

1歳の子育ては、判断と見守りが増える時期

1歳の子育ては、
手が少し離れてきたようで、
実は、判断と見守りが増える時期でもある。

ちゃんと育てたい。
ちゃんと守りたい。
その気持ちが強いほど、
疲れに気づくのが遅くなる。

「作りたくない」と思った瞬間に、責めてしまう

それなのに、
「作りたくない」と思った瞬間、
なぜか胸の奥がチクッとする。

ちゃんと作れない私は、だめなのかな。
母親なのに、逃げているのかな。

しおりも、この日、
そんなふうに自分を責めそうになっていた。

それは、限界が近いというサインだった

でも本当は、
ここまで一日を回してきた時点で、
もう十分にがんばっている。

「作りたくない」と思うのは、
怠けているからじゃない。
限界が近いことを、
体と心が教えてくれているサインだった。

利き手を骨折していると、ワンオペは限界が早く来る

利き手を骨折すると、できなくなることが一気に増える

利き手を骨折すると、
できなくなることが一気に増える。

料理だけじゃない。
袋を開けること。
フタを回すこと。
食器を持つこと。
子どもを支えること。

どれも、
普段なら意識せずにやっていた動きばかりだった。

片手になると、動くたびに考えるようになる

片手になると、
その一つひとつに時間がかかる。
集中力も使う。
「次は何をするんだっけ」と、
頭の中で確認しながら動くようになる。

しおりは、
それを誰にも言わずに、
毎日ひとりで回していた。

ワンオペの日は、もともと余白がない

ワンオペの日は、
もともと余白がない。
休む時間も、
考えない時間も、
最初からほとんど残っていない。

そこに、
利き手が使えない状態が重なる。

体より先に、
心のほうが先に疲れてしまうのは、
無理もなかった。

「動けない一瞬の中で、母親だけが緊張している場面」
赤ちゃんは安全な場所にいる。
 でも母親の視線と体は、常に“次の危険”を見ている。
 その“張りつめた静けさ”を絵で表す。
少しの間だけ、動けなくなる瞬間がある。
それは、怠けているからじゃない。
ちゃんと守ろうとしているから。

キッチンで起きた、ほんの一瞬の迷い

夕方、
ご飯の準備をしようとキッチンに立ったとき。

フライパンに火をつけて、
左手で材料を触っていると、
足元で、みいちゃんの気配がした。

いつの間にか近くまで来ていて、
興味津々の目で、
キッチンをのぞき込んでいる。

火を止めるか、抱き上げるか

「危ないよ」

声をかけながら、
一瞬、迷う。

火を止めるべきか。
先にみいちゃんを抱き上げるべきか。
でも、右手は使えない。

一瞬の判断に迷っている間も、
フライパンの火はついたままで、
みいちゃんは、少しずつ距離を詰めてくる。

守りたいのに、すぐに動けないもどかしさ

抱っこしたい。
すぐに守ってあげたい。
でも、火の前では無理ができない。

泣き声が大きくなる。
焦りで、心拍数が上がる。

頭の中では、
「落ち着いて」「大丈夫」と言い聞かせながら、
体だけが、思うようについてこない。

この一瞬に、
しおりの神経は全部持っていかれていた。

「危なくならないように」張り続けている状態

危なかった、という出来事ではない。
でも、
危なくならないように、ずっと気を張り続けている状態だった。

火を使うのが怖い。
包丁を持つのが不安。
子どもが動くたびに、
「今は大丈夫かな」と確認する。

小さな緊張が、静かに積み重なっていく

その積み重ねが、
静かに体力と気力を削っていく。

それでも、
子どもは待ってくれない。

お腹が空けば泣くし、
眠くなればぐずる。

立ち止まりたいと思っても、止まれない

「今日は無理かも」と思っても、
立ち止まる選択肢はなかなか出てこない。

だから、
ワンオペに利き手骨折が重なると、
限界が来るのが、どうしても早くなる。

それは、能力の問題じゃない

それは、
気合いが足りないからでも、
段取りが悪いからでもない。

危険を避けながら、
子どもを守りながら、
いつも通りを保とうとしているだけで、
すでに大きな負荷がかかっている。

「作りたくない」は、弱さじゃない

しおりが
「ご飯を作りたくない」と感じたのは、
弱くなったからじゃない。

それ以上がんばると、
安全を保てなくなるところまで、
ちゃんと来てしまっていただけだった。

「今日は作らない」と決めた日のご飯

「作らない」と決めるまで、何度も迷っていた

「今日は、作らない」
そう決めるまでに、しおりは何度も迷っていた。

冷蔵庫を一度開けて、
中を見て、
また閉める。

何か作れそうなものは、
たしかに、少しはあった。
でも、それを「作る」までの動きを考えた瞬間、
体も気持ちも、すっと止まってしまう。

作らないと決めたら、
手を抜いた気がしてしまう。
ちゃんとできなかった一日を、
自分で認めてしまうような気がしたから。

「もう十分だった」と思えるほど、今日はやってきた

それでも、
この日のしおりには、
もうこれ以上がんばる余力が残っていなかった。

利き手が使えない中で、
ワンオペの一日を回して、
みいちゃんの安全に気を配って、
それだけで、もう十分だった。

だからこの日のご飯は、
“作らない”前提で考えた。

今日を無事に終えることを、いちばんにする

特別な工夫はしない。
完成度も求めない。
ただ、今日を無事に終えることをいちばんにする。

火を使わない。
包丁はできるだけ持たない。
一つひとつの動きを減らす。

温めるだけのもの。
袋を開けて出すだけのもの。
洗い物が出ない選択。

テーブルの上に並んだのは、
いつもよりずっと簡単なご飯だった。
お皿の数も少なくて、
準備にかかった時間も短い。

1歳の食事は、「見守る時間」でもある

それでも、
みいちゃんは、ちゃんと食べる。

スプーンを持ちたがって、
うまくいかなくて、
少しこぼして、
それでも口に運ぶ。

食べている間も、
しおりの目は、ずっとみいちゃんを追っている。

詰まらせていないか。
立ち上がらないか。
急に泣き出さないか。

食事の時間は、
「座って食べる」だけの時間じゃない。
見守って、判断して、声をかけ続ける時間だった。

簡単な食事を前に、静かに息を整える母親と子ども。完璧じゃなくても大丈夫だと感じられるひととき。
「今日はこれでいい」
そう思えた瞬間、胸の奥が少し軽くなった。

大人のご飯は、どうしても後回しになる

子どもの分が落ち着いた頃、
しおりは、ようやく自分の分に手を伸ばす。

立ったまま、
残りを少しつまむ。
温かいかどうかも、あまり気にしない。

本当は、
ちゃんと座って食べたい気持ちもある。
でも、今はそこまで求めない。

今日は、これでいい。

「ちゃんとしたご飯」を、今日の基準で考える

大人の分は、
「ついで」でも、
「残りもの」でも、
正直、最低限でいい。

自分の分まで
きちんと用意できなかったからといって、
その一日が失敗になるわけじゃない。

栄養のバランスも、
一食で完璧にしなくていい。
昨日や明日と、
ゆっくり帳尻を合わせればいい。

一食ごとの栄養が気になってしまうのも、
子どものことを大切に思っているからこそだ。

でも、専門家の情報を見てみると、
幼児期の食事は「一食単位」ではなく、
数日単位で全体を見ていく考え方が勧められている。

「今日はできなかった」ではなく、
「今はそういう日」と受け止めていい。

👉 厚生労働省
授乳・離乳の支援ガイド」(出典:厚生労働省)

レトルトでも、
冷凍でも、
パンに何か添えるだけでも。

洗い物が出ない選択をした自分は、
楽をしたんじゃなくて、
その日の状況をちゃんと考えただけだった。

「ちゃんとしたご飯」を用意できなかった、という気持ちは、
頭では否定しても、心のどこかに残りやすい。

しおりも、以前はそうだった。

利き手を骨折して、家のことを一人で回していた頃、
「作れない日」が続くたびに、自分を責めてしまった時期があった。

でも、そのときに気づいた。
食べられたこと。
無事に一日が終わったこと。

それだけで、
本当はもう十分だったということに。
利き手を骨折して一人暮らしがつらい時の食事|
コンビニ・ネット活用と“罪悪感を減らす”コツ【右手骨折】

今日は、安全に終えられた。それで十分

子どもが泣かずに食事を終えた。
危ない場面がなかった。
今日を、無事に終えられそうだ。

それだけで、
今日は十分だった。

「今日はこれでいい」
そう決められたこと自体が、
この日のいちばん大きな成果だった。

“ちゃんとしたご飯”は、
毎日同じ形である必要はない。

体がしんどい日。
心に余裕がない日。
利き手が使えない日。

そんな日は、
今の自分に合ったご飯が、
その日の「ちゃんとしたご飯」だった。

作らなかった夜も、しおりはちゃんとやっていた

赤ちゃんを抱きしめる母親。静かな部屋の中で、安心した表情を浮かべている。
できなかったことより、今日守れたものがあった。
それだけで、十分だった。

子どもが眠ったあとの部屋は、
急に静かになる。

昼間あれだけ気を張っていた分、
夜になると、
どっと疲れが押し寄せてくる。

しおりはソファに座って、
今日一日を、ぼんやり振り返っていた。

作れなかったこと。
思うように動けなかったこと。
途中で、手を止めたこと。

つい、
「できなかったこと」ばかりが
頭に浮かんでしまう。

でも、
少し落ち着いて考えてみると、
今日もちゃんとやっていた。

子どもを守って、
危ないことが起きないように気を配って、
一日を無事に終えた。

それだけで、
今日はもう十分だったのかもしれない。

利き手を骨折して、
思うように動けない中で、
ワンオペの一日を回しきった。

作らなかった夜は、
失敗の夜じゃない。

それは、
今の自分に合った選択をした夜だった。

「今日はこれでいい」
そう思えたこと自体が、
この日のいちばん大切なところだった。

もし、この記事を読んでいるあなたが、
同じように
「ご飯を作りたくない」と思う夜を過ごしているなら。

それは、
怠けているからじゃない。
何かが足りなかったからでもない。

それだけ、
今日を一生懸命過ごしてきた、
その延長にある気持ちです。

作れなかった日も、
ちゃんと向き合った日。

しおりは、
そんなふうにして、
今日を静かに終えました。

テーブルの上に置かれた温かい飲み物のそばで、そっと見守るように佇む、やさしい表情のぱせりん。夕方のやわらかな光に包まれている。
「今日は、これでいい。」と、そっと肯定してくれる存在。

その様子を、
ぱせりんは、少し離れたところから見ていた。

何かを評価するでもなく、
正解を決めるでもなく、
ただ、今日が無事に終わったことを、
そっと確かめるように、うなずいていた。

手を振るぱせりん