骨折中、食事の準備ができない日|右手が使えない一人暮らしで「作らない前提」を選んだ話

右手を骨折した一人暮らしの女性が、食事の準備を始められずテーブルで静かに過ごしている様子 骨折と暮らしの工夫
食事を作る前の、止まってしまう時間。
この記事は約8分で読めます。
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※この記事は、利き手を骨折した一人暮らしの「あかり」の記録シリーズの一編です。

その日は、準備の手前で止まっていた

右手を骨折してから、
「食べること」よりも前に、立ち止まる時間が増えた。

お腹が空いていないわけじゃない。
何も食べたくないわけでもない。

ただ、
準備ができない。

冷蔵庫の前に立って、扉を開けて、
中を一度見て、
そのまま閉める。

扉を開けると、
奥に、昨日のままの小さな保存容器が一つ見えた。
中身は、何だったか思い出せない。

ドアポケットには、
飲みかけのペットボトル。
ラベルが少しよれていて、
いつからそこにあるのか分からない。

棚の手前に、
賞味期限が今日のものがあった気がして、
でも、手を伸ばす気になれなかった。

「これならできそう」
そう思えるものは、確かにあった。

ただ、
それを取り出して、何かを始めるところまでが、遠かった。

扉を閉めたとき、
冷蔵庫の中が足りないわけじゃない、と分かった。
足りなかったのは、
始めるための力だった。

右手を骨折した女性が、準備を始められないままテーブルに座り考え込んでいる場面
「食べない」のではなく、始められないだけの日がある。

その日は、
そこで一度、動きを止めた。

フライパンを出す前。
包丁を持つ前。
電子レンジのボタンを押す前。

「食べる」という行動に行き着くまでの、
そのずっと手前で、止まってしまう。

骨折中いちばんつらかったのは、
実はこの
“何も始められない時間” だったのかもしれない。

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「元に戻そう」としていた頃の、あかり

あかりは、
利き手の右手を骨折している。

そのときは、
まさか骨折までいくとは思っていなかった。
それくらい、
大ごとだとは感じていなかった出来事だった。

でも今は、
右手は使えず、
生活は片手前提になっている。

あかりは、もともと
「できる範囲で、ちゃんとやろう」とする人だった。

一人暮らしでも、
食事を整えようとしたり、
手を抜くことに、少しだけ罪悪感を持つタイプでもあった。

右手を骨折する前、落ち着いた表情で温かい飲み物を前に過ごしている女性の様子
少し前までは、こういう時間を当たり前に過ごしていた。

だから、
骨折してしばらくのあいだは、
前と同じように戻そうとしていた。

少し無理をすれば、できる気がしていたし、
時間をかければ、何とかなるとも思っていた。

でも、
うまくいかない日が、少しずつ増えてきた。

今は、
がんばろうと思っても、
体も気力も、前ほどついてこない。

できないことを受け入れた、というより、
できない日が続いている途中 にいる。

この記事は、
その途中で書いている記録だ。

骨折中、「食事の準備」ができない日は普通に来る

右手が使えないと、
できないことは思っている以上に増える。

痛みが強い日もあれば、
痛みはそこまでじゃないのに、
気力だけが追いつかない日もある。

それがややこしい。

痛いからできない、なら分かりやすい。
でも、
そこまで痛くないのに、できない日 がある。

包帯もずれていない。
腫れも、昨日よりは落ち着いている。
だから「今日は少し動けるかも」と思ってしまう。

でも、いざ動こうとすると、
体が先に止まる。

理由を探しても、
はっきりした原因は見つからない。

・片手で動く不安定さ
・時間がいつもよりかかる感覚
・「途中でやめたらどうしよう」という気持ち

そういうものが、
一つずつは小さいのに、
重なった瞬間、動けなくなる。

右手を骨折した女性が、閉じたままの冷蔵庫の前で立ち止まっている様子
できない日は、特別な失敗じゃない。

昨日は、できた。
同じくらいの痛みで、
同じくらいの体調で。

だから今日もできると思っていた。

でも、今日はできない。

この「昨日はできた」が、
まったく当てにならなくなる感じは、
想像していたより、ずっと戸惑った。

準備を始める前から、
頭の中では、いくつもの判断が始まっている。

途中でやめたら、どうするか。
途中で痛くなったら、どうするか。
後で、もっと動かなくなったら、どうするか。

調理そのものより、
その先を全部想像してしまうこと が、
いちばんしんどかった。

それが重なると、
食事の準備は、いきなり高いハードルになる。

でもこれは、
怠けているわけでも、
生活が崩れているわけでもない。

ただの「状態」だと思う。

骨折している体で、
一人で、
その日を回そうとしている。

それだけで、もう十分やっている。

「今日は無理かもしれないな」と思う日が来るのは、
特別なことじゃない。

むしろ、
普通に、ちゃんと来る。

一人暮らしだと、
こういう日は、なおさら不安になる。

実際、
利き手を骨折して一人で過ごしていると、
「ちゃんとできていない気がする時間」そのものが、
つらく感じることも多かった。

▶ 利き手を骨折して一人暮らしがつらい時の食事

※同じ「できない日」の話でも、
少し角度が違う回として置いている。

準備をしないと決めた日の、実際の過ごし方

その日は、
朝からずっと、何かが引っかかっていた。

痛みは、昨日より少しだけ楽だった。
包帯も、ちゃんと巻けている。
だから「できない理由」を探せば、たぶん見つからない。

それなのに、
キッチンに立ったまま、
何をすればいいのか分からなくなった。

作りたいものがないわけじゃない。
冷蔵庫の中に、食材がゼロなわけでもない。

ただ、
始めるための一歩が出なかった。

フライパンを出す気力も、
レンジに入れる準備をする集中力も、
その日は、手の届かないところにあった。

右手に包帯を巻いた女性が、スマートフォンをテーブルに置いたまま、椅子に座り何もしていない時間を過ごしている
判断をひとつ減らしただけの日。

しばらく立って、
結局、椅子に戻った。

椅子に座ってから、
十分か、十五分くらい、
スマートフォンを手にしたまま、何もしなかった。

画面は見ていたと思う。
でも、何を見ていたのかは思い出せない。

指は動いていたはずなのに、
頭の中には、何も残っていなかった。

気づいたら、
部屋の明るさが、少し変わっていた。

時計を見て、
「あ、もうこんな時間なんだ」と思った。

何かをした感じはない。
休んだ気もしない。
でも、
午前中は、もう終わっていた。

そこで初めて、
「今日は、準備をしない日でもいいかもしれない」
と思った。

何かを諦めた、というより、
判断を一つ減らした という感じに近い。

作るか、作らないか。
ちゃんと食べるか、どうか。

その全部を、
今日は一度、脇に置いた。

しばらくして、
家にあるものを、そのまま口にした。

それが何だったかは、
正直、あまり覚えていない。

「これで足りてるかな」とか、
「栄養的にどうなんだろう」とか、
そういう考えは、あとから出てきた。

でも、
その瞬間だけは、
これでいい と思えた。

そのあと、
本当に何気なく、
流しの前に立った。

何かをしようと思ったわけじゃない。
ただ、立っただけだった。

左手で、
コップを一つ、水で満たした。

それだけのことなのに、
少し、動けてしまった。

驚いたのは、
嬉しくなかったことだ。

「できた」という感じもしない。
達成感もない。

ただ、
できてしまった。

それが、
かえって、戸惑いを増やした。

できないと思っていたのに、
一つだけ、できてしまう。

じゃあ、
他もできるんじゃないか、
という考えが、頭をよぎる。

でも、
それを追いかけるほどの力はなかった。

コップを置いて、
また、椅子に戻った。

さっきより、
できない自分が、はっきりした気がした。

準備できない日が続いたときに、気をつけたこと

準備ができない日が、一日だけなら、
まだ「今日はたまたま」と思える。

でも、それが二日、三日と続くと、
少し違う不安が出てくる。

昼間は、
やることが目の前にあって、
考えなくて済んでいたことが、
夜になると、戻ってくる。

家の音が減る。
外の気配も、少し遠くなる。

その静けさの中で、

「このままで大丈夫かな」
「ちゃんと回復できているんだろうか」
「何か、取り返しのつかないことをしていないかな」

そういう考えが、
順番もなく、浮かんでは消えていく。

夜のテーブルで、右手を骨折した女性が静かに考え事をしている横に小さなキャラクターが座っている
毎日をつなげなくてもいい、と考えていた夜。

だから私は、
全部を整えようとしない ことだけ、意識した。

食事の準備ができないなら、
できない前提で、その日を回す。

「ちゃんとしたごはん」を基準にしない。
「いつもの自分」と比べない。

それだけで、
少しだけ、夜が長くなりすぎずに済んだ。

夜、テーブルの端に、
ぱせりんがいるのが見えた。

何かをしてくれるわけでもないし、
声をかけてくるわけでもない。

ただ、
そこにいる。

私が考え込んでいる間も、
何も変わらず、
同じ場所にいた。

それを見て、
気持ちが軽くなったわけじゃない。

でも、
一人で考えている感じが、
少しだけ、違ってきた。

それでも、
体調を大きく崩さないための、
最低ライン だけは、
なんとなく頭の片隅に置いていた。

今日はこれ以上、何もできない。
でも、明日になったら、また考えればいい。

骨折中は、
毎日をつなげなくていい。

一日ずつ、切って考えていい。

あとから思うと、
「作らない」と決めた日も、
何かを投げた日ではなかった。

むしろ、
罪悪感を増やさないための、
一つの選択だったと思う。

利き手を骨折して一人暮らしがつらい時の食事

準備ができない日が続いたからといって、
生活が壊れているわけでも、
回復が遅れているわけでもない。

ただ、
今はそういう状態、というだけだった。

まとめ|準備ができない日は、「生活が壊れているサイン」じゃない

一日の終わりのテーブルに、マグカップとスマートフォン、小さなキャラクターだけが残っている静かな風景
今日は、ここまででいい。

骨折中、
食事の準備ができない日があると、
どうしても不安になる。

ちゃんと食べられていない気がする。
回復の邪魔をしている気がする。
このまま、何かが崩れていく気がする。

特に、
何もしていない時間が長かった日は、
その不安が、少し強くなる。

でも、振り返ってみると、
準備ができなかった日は、
何も考えていなかった日 ではなかった。

どう動くか。
どこまでやるか。
今日は何を手放すか。

できない中で、
その都度、判断していた。

「今日は無理かもしれない」
「ここで止めたほうがいい」
「これ以上は、あとにしよう」

そうやって、
その日の体と相談しながら、
一日を終わらせていた。

骨折中の生活は、
「できる前提」で回さなくていい。

準備ができない日は、
できない前提で、その日を置いていい。

ちゃんとしたごはんを作れなくても、
いつものリズムに戻れなくても、
それで生活が壊れるわけじゃない。

今日はここまで。
明日のことは、明日考えればいい。

その判断を、
毎日つなげなくてもいい。

一日ずつ、
区切って考えていい。

そうやって過ごした日々は、
あとから見れば、
ちゃんと生活の一部だった。

回復の途中にある、
静かな時間だった。

読者に感謝