骨折中、全部やってあげるは優しさ?|役割と自尊心をめぐる夫婦の気づき

右手に包帯を巻いたまりと、少し距離を空けて座るまことの夜のリビング 骨折と暮らしの工夫
全部やることも優しさ。でも、待つことも優しさ。
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※善意のすれ違いシリーズ②
前回は「やりすぎた夜」について書いた。
今回は、その続き。
“全部やってあげる”という優しさの話。

善意のすれ違いシリーズ②|「全部やる」という優しさについて

夜のキッチンで、
コップを取ろうとしたら、もうそこに置いてあった。

「はい。重いでしょ」

まことが、いつもの調子で差し出す。
まりは右手の包帯を見て、少し笑う。

「ありがとう」

最近、この“ありがとう”が増えた。

椅子も、洗い物も、
ゴミ出しも、洗濯も。

「やらなくていいよ」
「座ってて」
「俺がやるから」

優しい。
本当に、優しい。

だから文句なんて、ひとつもない。

夜のキッチンで椅子に座り、右手を膝に置いたまま静かに視線を落とすまり
「まぁ、楽できるってことよね」とつぶやいた夜。

洗面所の鏡の前で、
まりは小さくつぶやいた。

「まぁ、楽できるってことよね」

そう言って、少し笑う。

でも——

胸の奥が、
ほんの少しだけ空いている。

寂しいわけじゃない。
不満でもない。

ただ、自分の出番が
静かに減っていくような気がした。

その理由は、
まだ言葉にならないまま。

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“やらなくていいよ”が増えた日

朝、椅子を引こうとしたら、先に引かれた。

「座ってていいよ」

ゴミ袋を持とうとしたら、軽く取り上げられる。

「それ、俺がやるから」

洗濯機のボタンに触れようとしたら、

「指、痛いでしょ?」

まことは、本当に自然だ。

無理をさせたくない。
早く治ってほしい。
その気持ちが、まっすぐすぎるくらい、まっすぐだ。

まりは、そのたびに言う。

「ありがとう」

包帯の巻かれた右手を、少し持ち上げながら。

最初は、助かった。

重い鍋も、洗濯物も、
蓋の固い瓶も。

自分では少し手間取ることを、
まことは迷いなくやってくれる。

食後の食卓で、右手を膝に置いたまま静かに向かい合う骨折中の夫婦
「やらなくていいよ」が、少しずつ増えていった日。

優しいなぁ、と思う。

でも——

一日が終わるころ、
まりはふと気づく。

今日は、
自分は何をしただろう。

掃除もしていない。
料理もほとんど触っていない。

やろうとすると、
「いいよ」と止められる。

その“いいよ”は、やさしい。

でも同時に、
自分の出番が静かに減っていく音にも聞こえた。

まりは、何も言わない。

言うほどのことでもないし、
まことは悪くない。

ただ、

“やらなくていいよ”が、
少しずつ増えていった日だった。

ありがたいのに、少し寂しい

夜、テレビの音が少し小さくなるころ。

まことは洗濯物をたたみ終えて、
「今日も順調」と満足そうに言った。

まりは、ソファに座ったまま頷く。

ソファで静かに考える右手骨折中のまり
役割は小さくても、自分を支えていた。

本当に、順調だった。

痛みも強くない。
無理もしていない。
家もきれいだ。

ありがたい。

それなのに。

ふと、思う。

今日は、
自分は何をしたんだろう。

料理はほとんど触っていない。
洗濯も、掃除も、任せたまま。

やろうとすると、
「いいよ」と笑って止められる。

その笑顔が優しいから、
まりは何も言えない。

でも——

役割って、
小さくても、ちゃんと自分を支えていたんだなと気づく。

味噌汁をよそう。
洗濯物をたたむ。
ゴミをまとめる。

そんなことでも、

「今日もやった」と思える瞬間があった。

今は、その“やった”が少ない。

被害者でもない。
不満でもない。

ただ、

家の中で、
自分の輪郭が少し薄くなった気がした。

まりは、まことを責めない。

むしろ、心配してくれることが嬉しい。

でも心の奥で、

——少しくらいは、自分でやりたい。

その思いが、
静かに、積もっていった。

利き手が使えない日が続くと、
できないことそのものより、
“できなくなった自分”のほうがこたえることがある。
以前書いた、「利き手の右手を骨折したら“食べる”がつらい…」の記事でも、
役割と気持ちの揺れについて触れたけれど、
今回はその“もう一歩手前”の話なのかもしれない。

夕方、小さな衝突

夕方、キッチンに立ったまりは、
そっと味噌汁の鍋に手を伸ばした。

左手でお玉を持てば、
よそうくらいはできる。

少しぎこちないけれど、
それでも、やってみたい。

その瞬間。

「いいよ、俺がやるから」

まことの声が、いつもの調子で飛んできた。

悪気はない。
むしろ反射だ。

まりは、お玉を持ったまま、
一瞬だけ止まる。

ほんの、ほんの一瞬。

そして、いつものように笑いかけようとして——
少しだけ、言葉が変わった。

「……少しぐらいは、自分でやりたい」

大きな声じゃない。

責めるでもない。

ただ、ぽつっと落ちた言葉。

まことは、はじめて動きを止めた。

キッチンの湯気が、ふわっと上がる。

まりは続ける。

キッチンで向き合い、静かに話す右手骨折中の夫婦
「少しぐらいは、自分でやりたい」

「全部やってもらうとさ、なんか……
私、何もしてない人みたいで」

言ってから、
ちょっと照れたように笑う。

「別に、怒ってないよ?」

まことは、困ったように笑う。

「怒ってるようには見えないけど……」

二人の間に、
重さはない。

でも、空気が少しだけ静かになる。

それは喧嘩じゃない。

ただ、

優しさの向きが、
ほんの少しだけ、ずれていたと気づく瞬間だった。

夜の気づき

その夜。

まりは、いつも通りに笑っていた。

味噌汁は少しこぼれて、
二人で「あーあ」と言って、布巾で拭いた。

空気は悪くない。

でも、まことの中に、
ぽつっと引っかかった言葉があった。

——少しぐらいは、自分でやりたい。

布団に入ってからも、その声が残っている。

静かな寝室で一人考えるまこと
全部やることが、本当に支えだったのか。

俺は、
何がしたかったんだろう。

早く治ってほしい。
無理してほしくない。
痛い思いをさせたくない。

それだけのはずだった。

でも。

全部やることが、
本当に“助ける”ことだったのか。

思い出す。

数年前、まことの父が膝を痛めたときのこと。

「座ってて」と言われ続けて、
だんだん外に出なくなった父。

ある日ぽつりと、
「俺、何もすることないな」と言った。

そのとき、
胸がざわついたのを覚えている。

できないことを奪うのは仕方ない。

でも、

できることまで奪ってしまったら——

それは、優しさなのか。

まことは天井を見つめる。

俺は、まりを守りたかった。

でも、守るって、
全部抱えることじゃないのかもしれない。

“やらせない”ことが安心だと思っていた。

でも、“やらない”と決めるのは、
まりのほうだったのかもしれない。

静かな部屋の中で、
まことはひとつ息をつく。

優しさには、
量と距離があるのかもしれない。

答えは出ない。

でも、

明日は、少しだけ聞いてみようと思った。

——どこまでなら、大丈夫?

高齢の家族への関わり方についても、
できることまで先回りしてしまうと、
本人の自信や意欲が削がれてしまうことがあると言われている。
(参考:厚生労働省「高齢者の自立支援に関する考え方」:(出典:厚生労働省))

役割を戻す、という選択

翌朝。

まりがキッチンに立つと、
まことは一瞬だけ、昨日のことを思い出した。

「……味噌汁、よそう?」

そう聞きかけて、少し止まる。

そして、言い直す。

「どこまでなら、大丈夫?」

まりは、少し驚いた顔をする。

「え?」

「全部は無理でもさ。
どこまでなら、自分でやりたい?」

言い方はぎこちない。

でも、昨日より少しだけ、違う。

まりは少し考えてから、
お玉を持つ。

「よそうくらいは、できるよ」

左手でゆっくりと。

味噌汁の鍋とお椀、少しこぼれた跡が残る朝のキッチン
完璧じゃない。でも、ちゃんと“できた”。

少しこぼれて、
鍋の縁に味噌がつく。

まことの手が、反射的に動きかけて——
止まる。

まりは、それに気づいて笑う。

「ほら、できたでしょ」

「……うん。上出来」

二人で、少し笑う。

完璧じゃない。

こぼれるし、時間もかかる。

でも、空気は前より軽い。

まことは思う。

全部やることが優しさじゃない。

見ていることも、
待つことも、
きっと優しさの形なんだ。

その日から、

“やらなくていいよ”は、少し減った。

代わりに、

「手、貸そうか?」

が増えた。

午後の公園で

それから数日後の午後、まりが言った。

「ちょっと外、歩いてみない?」

まことは一瞬だけ迷う。

「疲れない?」

「大丈夫。座るところあるでしょ」

その言い方が少し楽しそうで、
まことは「じゃあ行くか」と笑った。

公園は明るくて、
子どもの声と犬の鳴き声が混ざっている。

午後の公園でベンチに座る夫婦と遠くの親子
「できるって、嬉しいもんね」

ベンチに座っていると、
少し離れたところで、小さな男の子が靴を履こうとしていた。

なかなかうまくいかない。

お母さんが、つい手を出す。

「ほら、こうやって……」

すると男の子が、顔をしかめて言った。

「もー! 僕がやる!!」

その声が、公園に響く。

一瞬、空気が止まって——
まりとまことは、目を合わせて、くすっと笑った。

「あるあるだね」

まりが小さく言う。

「私も、あんな顔してた?」

「……ちょっとだけ」

まことは肩をすくめる。

男の子は、時間をかけて、
なんとか靴を履き終えた。

少し曲がっているけど、
誇らしそうに立ち上がる。

その姿を見て、
まりはぽつりと言った。

「できるって、嬉しいもんね」

まことは、頷く。

助けることと、
奪わないこと。

その境目は、
案外、こんなところにあるのかもしれない。

ベンチから立ち上がるとき、
まことは手を差し出しかけて、少し止める。

まりは左手でベンチを押して、
自分で立ち上がる。

少し時間がかかる。

でも、立てた。

「ほら」

「うん」

それだけで、十分だった。

優しさの形を変える

家の前で立ち止まり、穏やかに並ぶ夫婦
優しさは、少しだけ形を変えた。

帰り道。
まりは、少しゆっくり歩く。
でも足取りは軽い。

まことは、隣を歩く。

手は出さない。

でも、少しだけ近い。

「さっきの子、よかったね」

まりが言う。

「うん。ああいう顔、するよな」

「できたときの顔ね」

少し間があって、
まことが言った。

「俺さ、全部やるのが正解だと思ってた」

まりは笑う。

「優しいのは、間違ってないよ」

「でも量が多すぎた?」

「ちょっとだけね」

二人で笑う。

優しさは、間違っていない。

ただ、距離と量がある。

全部やることも優しさ。
待つことも、優しさ。

役割は、
家事のためだけじゃない。

“自分でやる”という感覚は、
自分でいられる感覚でもある。

まことは、まりの歩幅に合わせる。

まりは、少しだけ胸を張る。

完璧じゃなくていい。

こぼしてもいい。

時間がかかってもいい。

正解より、調整。

そのほうが、きっと長く続く。

家のドアの前で、
まりが言う。

「明日は、味噌汁、私がよそうね」

まことは笑って頷く。

「じゃあ俺は、こぼしたの拭く係で」

また、くすっと笑う。

優しさの形は、
少しだけ変わった。

それで、今日は十分だった。

片手での家事については、
別の記事で具体的な工夫もまとめています。
骨折中、片手で家事がつらい日に|切る・洗うをラクにする考え方と道具の選択肢

一人暮らしのときの気持ちは、
骨折中、食事の準備ができない日|右手が使えない一人暮らしで『作らない前提』を選んだ話」に書きました。

読者に感謝