日本にいながらポルトガル語を独学|音が意味になる瞬間と、距離が縮まった1か月

ポルトガル語を聞きながら小さく気づく女性 小さな確信
音が、意味になった瞬間。
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話すしかなかった日

ポルトガル語を教え合いながら笑う二人
間違いは、会話の一部だった。

ポルトガル語を独学で学び始めたころ、私はまだ自信などありませんでした。

単語は覚えても、会話になると消えてしまう。
リスニングも、ゆっくりなら分かるけれど、速くなると追いつかない。

それでも、日本にいながらポルトガル語を学ぶ理由ははっきりしていました。

目の前に、話したい人がいたからです。

英語教室の一角で日本語を教えていた私は、ブラジル人の方と出会いました。
日本語を学びたいという気持ちは強く、ノートはいつもきちんと整えられていました。

私は日本語を教える側。
生活の手伝いをすることもありました。

けれど、授業が終わると自然と始まるのは、日本語とポルトガル語が混ざった会話でした。

怖くなかった理由

外国語を話すのは勇気がいる、とよく言われます。

発音が違ったらどうしよう。
間違えたら笑われるかもしれない。

でも、私はあまり怖くありませんでした。

目の前の人が、一生懸命に日本語を話そうとしていたからです。

助詞が抜けても、語順が少し違っても、
とにかく伝えようとする。

その姿を見ていると、自然とこちらもポルトガル語で返していました。

上手に話そう、ではなく。
とにかく、返そう。

日本語がまだ分からない人には、私のポルトガル語。
文法が正しいかどうかより、まずは伝えること。

最初に覚えたのは、あいさつでした。

「オブリガード」

そう言うと、「女性だからオブリガーダだよ」と、やさしく教えてくれました。

その小さな訂正が、うれしかったのを覚えています。

間違いは、恥ずかしさではなく、会話の一部でした。

教室で向かい合って話す二人
上手に話そう、ではなく。とにかく返そう。

「速い!」から始まったリスニング

ポルトガル語の音を初めてしっかり聞いたときの印象は、
「速い」でした。

雑音というより、とにかく速い。

どこで単語が終わるのか分からないまま、音が流れていく。

それでも、何度も聞いているうちに、少しずつ耳が慣れてきました。

文の終わりの語尾。
よく出てくる単語。
母音の伸び方。

最初はひとかたまりだった音の中に、
小さな区切りが見えてくる。

ボニチーニャ。
ウンポキーニョ。

教科書にはあまり載っていない、やわらかい表現が混ざると、
急に会話が近く感じられました。

英語やスペイン語は、音がつながって聞こえる印象がありましたが、
ポルトガル語は、思ったよりも分かりやすい。

アルファベット通りに読めば、意外と通じる。

完璧な発音ではなくても、
音の雰囲気が合えば、きちんと意味が届く。

そのことに気づいたとき、少し安心しました。

教科書の文法より、日常の言葉

独学で学んでいると、どうしても本の文法を気にしてしまいます。

難しい形をそのまま使おうとして、
途中で言葉が止まる。

本を開き直して、確認する。

すると、その本をのぞき込んで、
もっと簡単な言い方を教えてくれる。

「こっちの言い方だね」

教科書に載っている少し硬い表現より、
日常で使う、シンプルな言い回しのほうが自然でした。

もしかしたら、教科書のポルトガル語は、
ポルトガル(ヨーロッパの方)の言い回しが多いのかもしれない。
ブラジルで話されている言葉は、もっと柔らかくて、もっと生活に近いのかもしれない。

詳しく比較したわけではありません。

でも、少なくともその場では、
難しい文法より、伝わる言い方のほうが大切でした。

完璧でなくても、会話は続く。

ポルトガル語を独学で学び始めて1か月。
リスニングで聞いていた音が、今度は自分の口から出ていく。

その感覚は、不思議でした。

遠い存在が、近くなった

同じテーブルで向き合って話す二人
遠かった存在が、少し近くなった。

それまで私は、ブラジル人をどこか“遠い国の外国人”として見ていました。

もちろん差別的な気持ちではありません。

ただ、自分とは違う文化の中で生きてきた人。
テレビやニュースの向こう側にいる存在。

私が住んでいたのは、程よい田舎でした。
それまで、外国の人を日常で見かけることは、ほとんどありませんでした。

だからこそ、スーパーや町中でポルトガル語が聞こえるようになったとき、
どこか現実味のない感じがありました。

テレビの中の外国人が、
急に目の前にいる。

でも、その言葉が分からないとき、
やはり少し距離がありました。

聞こえているのに、入ってこない。

同じ空間にいるのに、別の世界にいるような感覚でした。

混ざった言葉の会話

でも、ポルトガル語で少しでも会話ができるようになると、見え方が変わりました。

授業が終わったあと、
日本語とポルトガル語が混ざった会話が続く。

困っていること。
日本での生活の戸惑い。
役所の手続きの話。
子どもの学校のこと。

将来の夢。
「いつかこうなりたい」という話。

完璧な文ではありません。
ときどき単語だけ。
ときどき身振り。

それでも、会話はちゃんと前に進んでいきました。

ポルトガル語と日本語が混ざったその時間の中で、
相手の表情が変わる瞬間がありました。

不安な顔。
ほっとした顔。
少し照れたような笑い。

流暢ではありません。
言いたいことの半分も言えないこともありました。

それでも、笑われたことはありませんでした。

むしろ、真剣に聞いてくれました。

訂正は、協力だった

間違えたときは、やさしく直してくれました。

「その言い方でもいいけど、こっちのほうが分かりやすいよ」

その訂正は、からかいではなく、協力でした。

私は日本語を教える側でした。

生活の手伝いをすることもありました。

でも、その場では、
どちらが上という空気はありませんでした。

ただ、言葉を探し合っている人たちがいる。

完璧でなくても、
一緒に意味を作ろうとしている時間でした。

文法が少し違っても、
発音が少しずれていても、
相手は「分かろう」としてくれていました。

その姿勢に、私は支えられていたのかもしれません。

遠さが縮まる瞬間

私はそのとき、ふと思いました。

ああ、同じ人間なんだ。

文化は違っても、
困ることも、楽しいことも、
大切にしているものもある。

言葉が分からないときは、遠くに感じていた存在が、
少し近くなった。

テレビの中の外国人ではなく、
目の前で笑っている人。

言葉が少し分かるだけで、
その距離が変わる。

それが、うれしかったのです。

大きな出来事ではありません。
劇的な成功でもありません。

ただ、遠いと思っていた人が、近くなった。

その小さな変化が、
私の中ではとても大きなことでした。

音が意味になるのは、会話の中だった

ポルトガル語の勉強方法として、私がやったことは地味なものでした。

単語を何度も読む。
音声を繰り返し聞く。
リスニングは、意味が分からなくても流し続ける。

日本にいながらできることは限られていました。
教材も多くはありませんでした。

派手な近道も、特別な環境もありません。

ただ、同じ音を、何度も聞く。

「速い」から「区切り」へ

最初はとにかく速い、と感じていました。

単語の境目が分からない。
どこからどこまでが一つの意味なのか、つかめない。

でも、何度も聞いていると、少しずつ耳が慣れてきます。

語尾の上がり下がり。
よく出てくる言い回し。
同じ単語が繰り返される場所。

最初は一枚の布のようだった音が、
少しずつ、縫い目のある布に見えてくる。

全部は分かりません。

でも、ところどころ分かる。

「あ、今この話をしているんだ」

そう思える瞬間が、ぽつぽつと増えていきました。

会話に入ったとき、音が変わった

会話の中で耳を傾ける女性
音は、人と一緒に届く。

そしてその状態で、実際に会話をすると、不思議なことが起きました。

音が、急に立体的になります。

リスニングで聞いていたときは平面的だった言葉が、
目の前の人の声になる。

表情がある。
間がある。
相づちがある。

同じ「ウンポキーニョ」という言葉でも、
笑いながら言うのか、困った顔で言うのかで、意味の重さが変わる。

同じ単語でも、
声の高さや速さで、気持ちが違う。

リスニングだけでは感じられなかった空気が、そこにありました。

音が、単語の集合ではなく、
“その人の言葉”になる。

その瞬間、理解は少し深くなります。

分かる、は完璧じゃなくていい

全部を聞き取れるわけではありません。

文法も、まだあやふやです。

それでも、会話の流れが止まらない。

「だいたい分かる」で十分でした。

むしろ、完璧を目指そうとすると、
かえって言葉が止まります。

本で覚えた難しい形を思い出そうとして、
沈黙が生まれる。

でも、シンプルな言い方なら、すぐ出てくる。

短い文でも、伝わる。

そして、相手が続けてくれる。

そのやり取りの中で、
音は少しずつ意味を持ち始めました。

音が意味になる、というのは、
単語を理解することだけではありませんでした。

目の前の人の顔と一緒に聞こえること。
その人の気持ちと一緒に届くこと。

それが、私にとっての“意味”でした。

1か月で変わったのは、上手さではなかった

1か月で、流暢に話せるようになったわけではありません。

ニュースが聞き取れるようになったわけでもありません。

ポルトガル語を独学で学んで、
ペラペラになったわけではない。

文法もまだあやふやでした。
知らない単語は山ほどありました。

速く話されると、やっぱり追いつけないこともあります。

それでも、確かに変わったことがありました。

夕方の光が差し込む机と閉じたポルトガル語の本
上手さではなく、距離が変わった。

上手さではなく、距離が変わった

変わったのは、上手さではなく、距離でした。

話せないときは、どこか遠くに感じていた人。

言葉が分からないときは、
同じ場所にいても、少しだけ別の世界にいるような感覚がありました。

聞こえているのに、入ってこない。
そこにいるのに、つながらない。

でも、少し話せるようになると、不思議なことが起きます。

同じテーブルに座っている人になる。

ただの「外国人」ではなく、
名前を持つ人。
家族がいる人。
悩みや夢を抱えている人。

言葉が分かると、
相手の世界が少しだけ見えてきます。

ほんの少し。

でも、その少しが大きい。

助けているつもりだった私

私は助けているつもりでした。

日本語を教え、
生活の手伝いをしている側でした。

役所の書類。
学校のこと。
日常のちょっとした困りごと。

「教える人」と「教わる人」。

その立場は、はっきりしているように思えました。

でも実際には、私のほうが受け取っていたのかもしれません。

ポルトガル語で話そうとするとき、
相手は待ってくれました。

間違えても、
言い直しても、
最後まで聞いてくれました。

そして、少し言い方を直してくれる。

そこには上下はなく、
ただ、やり取りがありました。

言葉を探しながら笑う時間。

通じたときの、あの小さなうなずき。

私は、日本語を教えていたはずなのに、
「人と向き合う」ということを教えてもらっていたのかもしれません。

1か月で手に入ったもの

1か月で手に入ったのは、語学力ではありません。

ニュースが分かるようになったわけでも、
本がすらすら読めるようになったわけでもありません。

でも、遠い存在だった人が、少し近くなった。

それは確かでした。

ポルトガル語が完璧でなくても、
単語が足りなくても、
発音が少し違っても、

それでも、距離は縮まる。

日本にいながらでも、
言葉を通して距離は縮まる。

その実感がありました。

言語が分かるということの一つは、
もしかしたら、
人との距離が少し近くなることなのかもしれません。

大きな変化ではありません。

劇的な成功でもありません。

ただ、遠い存在だった人が、少し近くなった。
それだけのことです。

でも、私にとっては、それで十分でした。

前回の記事で書いた「あ、いけるかも」と思えた瞬間も、
振り返ってみると、この距離の変化の中にあったのかもしれません。

そして、その「うれしかった」という気持ちは、
今でも静かに残っています。

👉 日本にいながらポルトガル語を独学した方法|1か月で「あ、いけるかも」と思えた体験

読者に感謝