※この記事は筆者の体験をもとにした内容であり、医療的な判断や診断を行うものではありません。
骨折してから、体より先に気持ちがしんどくなった

右手を骨折して、
「不便だな」「時間がかかるな」と感じることは、ある程度想像していました。
でも実際に一人暮らしで片手生活が始まってみると、
先につらくなったのは、体よりも気持ちのほうでした。
夜になると、部屋が静かすぎて。
昼間はなんとかやり過ごせていたはずなのに、
ベッドに入る頃になると、理由のはっきりしない不安がじわっと広がってきます。
「この生活、いつまで続くんだろう」
「ちゃんと戻れるのかな」
「今日もあまり何もできなかったな」
痛みよりも、
“ひとりで抱えている感じ”が、思っていた以上に重たかったです。
スマホを手に取って、
連絡先の一覧をなんとなく眺めてみることもありました。
家族はいる。
友だちもいる。
でも、今この気持ちをそのまま投げていい相手が、すぐには思い浮かばない。
「心配かけたくないな」
「大したことじゃないって言われたら、余計つらいかも」
そんな考えが頭をよぎって、
結局、画面を閉じてしまう夜が続きました。
あかりとしてこれまで書いてきた骨折シリーズでも、
「できないことが増えて、気持ちが追いつかない瞬間」は何度も描いてきました。
▶︎ 利き手を骨折して一人暮らしがつらい時の食事|コンビニ・ネット活用と“罪悪感を減らす”コツ【右手骨折】
あの感覚は、
「弱っている」というより、
“どう整理していいかわからない状態” に近かったように思います。
誰かに相談したいわけでも、
答えが欲しいわけでもない。
ただ、このざわざわした気持ちを、
いったん置ける場所があればよかっただけなのかもしれません。
訪問看護(メンタル)という言葉を知って、少し戸惑った

そんな夜に、たまたま目に入ったのが
訪問看護(メンタル) という言葉でした。
正直に言うと、最初は少し戸惑いました。
「訪問看護?」
「メンタル?」
自分とは関係ない世界の言葉、
という印象が強かったからです。
調べたというより、
“見かけてしまった”という感じに近くて。
内容を深く読む前に、
まず気持ちのほうが立ち止まってしまいました。
「これは、使う人が決まっているサービスなんじゃないか」
「今の私は、そこまでじゃない気がする」
そうやって、
言葉を知っただけで、いったんページを閉じました。
でも不思議なことに、
その言葉が頭に残ったまま、
その夜は少しだけ呼吸がしやすかったんです。
「若いのに頼っていいのかな」と迷ってしまった理由

翌日以降、
気づくと私は、同じ言葉を何度か検索していました。
「訪問看護 メンタル 若い」
「若い人 訪問看護」
「一人暮らし 不安 相談」
答えを探すというより、
“自分がそこに当てはまるのかどうか”を確かめたかった
というほうが近かった気がします。
体は動いている。
仕事も、完全に止まっているわけじゃない。
病院に通えているし、日常が全部崩れたわけでもない。
それでも夜になると、不安が強くなる。
でも、その状態をどう説明したらいいのかが、わからない。
「若いのに、こんなことで頼っていいのかな」
「もっと大変な人が使うものなんじゃないかな」
そう思ってしまう自分がいました。
頭では、
“しんどさは人と比べるものじゃない”
とわかっているのに、
気持ちのほうが、ついてこない。
これって、
骨折してから増えた
「できない」「頼れない」の延長線だった気がします。
▶︎ 「できない」ことが増えると、心が追いつかなくなる
https://lifeparsley.org/nothing-could-do-night/
片手ではうまくできないことが増えて、
「自分でなんとかする」が少しずつ難しくなった。
その流れのまま、
気持ちのことまで“自分で処理しよう”としていたのかもしれません。
誰かに何かを“お願いする”こと自体が、
いつの間にか、
とても高いハードルになっていました。
検索結果を開いて、
文章を少し読んでは、閉じて。
また別のページを開いては、戻って。
「すぐ決めなくていい」
「相談だけでもいい」
そんな言葉が目に入るたび、
“今は、答えを出さなくてもいい状態なんだ”
と、少しずつ思えるようになりました。
何かを始める決心がついたわけでも、
誰かに連絡を取ったわけでもありません。
ただ、
「今すぐ何かを決めなくてもいい」
そう思えたことで、
肩の力が、ほんの少しだけ抜けた気がしました。
同じ骨折でも、年齢が違うと感じ方が違う(しげるの話)

ここでふと、
シリーズに登場する しげる のことを思い出しました。
70代で右手を骨折したしげるは、
「若いころは何でも自分でできたんだがなぁ」と、
ぽつりとこぼす人です。
年齢的な不安も、
体の衰えの実感も、
生活のペースも、
正直、私とはまったく違います。
しげるには、子どももいます。
ときどき電話をくれて、心配もしてくれている。
“頼れる人がいない”わけではありません。
それでも、しげるは言います。
「大丈夫だよ」
「ちゃんとやってるから」
迷惑をかけたくない。
弱っている自分を、あまり見せたくない。
その気持ちは、
年齢が違っても、立場が違っても、
驚くほど共通していました。
▶︎ 骨折中でも食べやすい食べ物|シニアの右手骨折に安心な“やわらか食材”と調理の工夫まとめ
私が
「頼れる人が思い浮かばなかった」のに対して、
しげるは
「頼れる人がいるのに、頼らなかった」。
状況は違っても、
“しんどさを自分の中にしまい込んでしまう構造”は、
とてもよく似ている気がしました。
年齢が違っても、
立場が違っても、
“しんどさの質”は同じところで重なることがある。
そう考えたとき、
「若いから」
「一人暮らしだから」
という理由で、
自分の不安を小さく見積もらなくてもいいのかもしれない、
と思えました。
訪問看護(メンタル)を考える人が多いタイミング

あとから整理してみると、
訪問看護(メンタル)という言葉を思い浮かべる人が多いのは、
こんなタイミングなのかもしれません。
- ケガや体調の変化で、生活リズムが崩れたとき
- 夜になると、不安が強くなるとき
- 一人で抱えている感じが続いたとき
- 「このままで大丈夫かな」と、ふと考え始めたとき
どれも、
「何かを決断する瞬間」 というより、
気持ちが少し揺れた瞬間 です。
何かを始めようとしているわけでも、
助けを求める準備ができているわけでもない。
ただ、
今の状態をどう受け止めたらいいのか、
少し立ち止まって考えているだけ。
訪問看護について調べていく中で、
体のケアだけでなく、
気持ちの面にもそっと寄り添うことを大切にしている
訪問看護ステーションがあることを知りました。
「今すぐ使うかどうか」ではなく、
そういう選択肢があると分かっただけで、
少し気持ちが落ち着いた気がしました。
まとめ|今日は決めなくていい。「知れたから合格」

この話を書こうと思った理由は、
訪問看護(メンタル)を勧めたかったからではありません。
ただ、
「そういう言葉があると知れたこと」
それ自体が、
夜の不安を少しだけ軽くしてくれたからです。
今日は頼らなくていい。
今は決めなくていい。
使わなくても、相談しなくてもいい。
でも、
「選択肢として存在する」
と知れただけで、
心の中に、小さな逃げ道がひとつ増えました。
しげるは、
「今日はこれだけ食べられたから、合格だな」
と、自分に言っていました。
私は、
「今日は決めなくていい」
と思えただけで、少し眠りやすくなりました。
骨折中の生活は、
思っている以上に、
毎日が判断の連続 です。
だからこそ、
判断しなくていい情報 があることは、
想像以上に助けになります。
知れたから、今日は合格。
それくらいで、ちょうどいい夜もあります。


