日本にいながらポルトガル語を独学した方法|1か月で「あ、いけるかも」と思えた体験

机でポルトガル語教材とMDを前に考える女性 小さな確信
音から始まった、小さな挑戦。
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外国語を話すのは、少し勇気がいります。

発音が違ったらどうしよう。
文法を間違えたら笑われるかもしれない。
通じなかったら、気まずい空気になるかもしれない。

たった一言なのに、
口に出すまでが、長い。

そんなふうに考えてしまうと、
つい口を閉じてしまいます。

私も、そうでした。
頭の中では言えているのに、
声にする直前で、ブレーキがかかる。

今でこそ、動画やアプリで気軽に外国語に触れられる時代ですが、
30年前は、そうではありませんでした。

検索すれば答えが出るわけでもなく、
字幕つきの動画があるわけでもない。

辞書と本が頼りで、
音声はMD。

CDの音源をMDに録音して、
繰り返し、繰り返し聞いていました。

今の人には少し懐かしい機械かもしれません。
小さなディスクに入れて持ち歩く、録音用のメディアです。

家事をしながら、
イヤホンを片耳だけ入れて。

ノートに正の字を書き続ける女性の手元
100回読む。その線が、自分を支えた。(実際は「正」の字でした)

意味が分からなくても、流す。
分からないまま、流す。

それでも、私はなぜか、
ポルトガル語を学び始めていました。

特別な夢があったわけではありません。

海外に住みたかったわけでも、
資格を取りたかったわけでもありません。

ただ、目の前にいる人の言葉が、
ほんの少しでも分かったらいいなと思った。

その人が笑っている理由や、
困っている理由を、
少しだけでも知りたかった。

それだけでした。

その小さな気持ちが、
あとになって振り返ると、
私の世界を少しだけ広げてくれたように思います。

大きな挑戦ではありませんでした。
でも、確かに、扉は少し開いた。

1か月で「だいたいわかった」と感じた、
あのときの話です。

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なぜ日本でポルトガル語を学び始めたのか

そのころ、私は英語教室の一角で、日本語を教えていました。

小さな教室でしたが、
放課後の時間になると、いろいろな年齢の人が集まっていました。

きっかけは、英語教室で知り合ったブラジル人のご夫婦でした。

英語教室で知り合ったブラジル人夫婦と向かい合う女性
きっかけは日本語の手伝いから。

まだ日本に来て間もない様子で、
言葉も、生活も、手探りのように見えました。

二人で日本語を独学していると聞いて、
私は何気なく言いました。

「日本語を学ぶお手伝い、しましょうか?」

軽い気持ちでした。

特別な覚悟があったわけではありません。
ただ、日本人だから、日本語のことなら少しは力になれるかもしれない、と思っただけでした。

けれどその日から、二人はまるで日本語の先生が来るのを待っていたかのように、机を整え、ノートを広げていました。

消しゴムまできちんと並べて。

あ、これは本気なんだ。

少し、びっくりしました。

同時に、少しだけ背筋が伸びました。

日本語を教えていて感じたこと

授業の中で、こんな場面がありました。

私の説明が分からないとき、
二人は顔を見合わせて、ポルトガル語で確認し合うのです。

そのやり取りは、速くて、柔らかくて、
私には音の塊のように聞こえました。

その様子を見て、私は思いました。

私は日本語を教えているけれど、
二人の言葉は、まったく分からない。

日本語の文法書は、ポルトガル語で説明されています。
その説明が少しでも読めたら、
もっと分かりやすく伝えられるのに。

今は伝えているつもりでも、
本当は、相手の世界の半分を知らないまま話しているのではないか。

どこかで、片側だけの橋の上に立っているような感覚がありました。

向こう岸には行けない。

でも、見えている。

その橋を、少しだけでも渡りたい。

そう思うようになりました。

できる側ではなく、できない側に立ったときに見える景色は、
以前、手が思うように動かなかったときにも感じたことがあります。
できない側に立って初めて分かることがあるのかもしれません。
(関連記事:骨折シリーズ:右手が動かなかった日|できない側に立って気づいたこと)

日本語だけで教える、という考え方

ちょうどそのころ、日本語を日本語だけで教える体験講座に参加したことがあります。

学習者の母語に頼らず、日本語そのもので伝える方法を学ぶ場でした。

身振りや、絵や、言い換えを使って、
日本語だけで意味を作っていく。

なるほど、と思いました。

日本語を教える人が、必ずしもその人の言葉を話せる必要はない。

それも、一つの考え方です。

実際、そのやり方で十分に伝わることもあります。

それは今でも、正しい方法だと思っています。

けれど私は、どこかで思っていました。

少しでも相手の言葉が分かったら、
もっと近づけるのではないか、と。

正解があるわけではありません。

ポルトガル語を学ばなければならない理由も、どこにもありません。

ただ、私は、その橋を少し渡ってみたかったのです。

自分のために。

そして、目の前の二人のために。

町で聞こえたポルトガル語

その町は、都会というほどではありませんでした。

けれど、そのころから少しずつブラジル人が増えていった時代でした。

スーパーやお店で、ポルトガル語が聞こえる。

カゴを持ちながら、
何かを相談している声。

最初は、どこの国の言葉だろう、とただ思うだけでした。

音としては聞こえるけれど、
意味は、遠い。

でも、少し話せるようになってからは違いました。

スーパーで会話に耳を傾ける女性
ただの音だった言葉が、少しだけ意味を持つ。

商品を前にして相談している会話が、
なんとなく分かる。

「どっちが安い?」
「これで足りる?」

そんなやり取りが、聞こえるようになる。

思いきって声をかけて、
日本語とポルトガル語を混ぜながら手伝うと、とても喜んでくれました。

「助かった」と笑ってくれる。

その笑顔に、私のほうが救われていました。

昨日まで通り過ぎていた音が、
自分の世界の中に入ってきた。

音が、意味を持ち始めた。

大きな出来事ではありません。

でも、その小さな変化が、
私にとっては十分でした。

ほんの少しだけ、世界の輪郭が変わった。

そして私は、ポルトガル語を学び始めました。

ポルトガル語を独学で始めた方法

当時は、単発で出ていたNHKのポルトガル語教材を手に取りました。
今ではNHKゴガクなどで気軽に学べる時代ですが、
当時は限られた教材を何度も使うしかありませんでした。
(参考:NHKゴガク ポルトガル語講座)

当時は、今のようにアプリも動画もありませんでした。

単発で出ていたNHKのポルトガル語教材を手に取り、
そのあと、本を数冊買いました。

本屋で外国語の棚をのぞくと、
ポルトガル語の本は、ほんの少ししか並んでいませんでした。

英語やフランス語の棚は広いのに、
ポルトガル語は、端のほうに、数冊だけ。

その前に立っている自分が、少しだけ場違いな気もしました。

その中から、できそうな一冊を選ぶ。
それだけでも、少し勇気がいりました。

「本当に読めるのかな」

そんな気持ちも、正直ありました。

100回読む、正の字を書く

特別な勉強法はありません。

やったことは、とても地味です。

単語を何度も読む。
100回くらい、声に出して読む。

でも、ただ読むだけでは、途中であいまいになります。

読んだつもり。
覚えたつもり。

それが一番こわいと感じました。

そこで私は、本の一文ずつの横に、「正」の字を書いていきました。

一画、二画、三画、四画。
そして五画目で横に一本。

また一画。

小さな正の字が、ページの端に並んでいきます。

紙の端が、だんだん黒くなっていく。

そうやって、読んだ回数を目で見て確かめました。

「まだ30回」
「あと半分」
「あ、もう70回」

100回読む、と決めると、
不思議と途中でやめなくなります。

進み具合が、紙の上に残っていく。

手で書いた線が増えていくたびに、
自分の中にも、少しずつ積み重なっている気がしました。

派手な達成感ではありません。

でも、昨日より今日のほうが、少しだけ前に進んでいる。

それが、ちゃんと見える安心感がありました。

地味だけれど、
「やった」と言える方法でした。

意味より先に、音を浴びる

台所でイヤホンをつけながら家事をする女性
意味が分からなくても、音を流し続けた。

そして家では、ポルトガル語の音声を何度も聞きました。

CDの音声を、MDに録音して持ち歩いていました。

小さな四角いディスク型の録音メディアで、
いまではあまり見かけませんが、
当時は繰り返し聞くための、心強い道具でした。

MDに録音するために、
CDを再生しながら待つ時間さえ、
なんだか特別な準備のように感じていました。

イヤホンで、ほとんどずっと流していました。

意味が分からなくても、流す。
分からないまま、流す。

洗い物をしながら。
片づけをしながら。
ときには寝る前も。

同じ音を、何度も聞きました。

最初は、ただの速い音のかたまりでした。

何を言っているのか、さっぱり分からない。

でも、あるとき、ふと気づきます。

意味より先に、「音の流れ」が少し分かる。

文の区切れ。
語尾の上がり下がり。

「あ、ここで終わるんだ」

「あ、今、同じ言葉を言った」

「あ、さっきの単語だ」

そんな感覚が、先にやってきました。

意味はあとから、ゆっくり追いついてくる。

発音は、思ったより難しくありませんでした。
むしろ、日本語にないリズムが面白いと感じたくらいです。

口が追いつかなくても、
耳が少しずつ慣れていく。

完璧に理解できていなくても、
「音の中に入れている」感じがしました。

攻略したい、とは思っていませんでした。

完璧になりたいとも、思っていませんでした。

ただ、分かりたい。

ほんの少しでも、近づきたい。

その小さな気持ちを、毎日積み重ねていただけでした。

できない日もありました。

眠くて流すだけの日もありました。

それでも、やめなかった。

それだけは、今でも少し誇らしく思っています。

「あ、いけるかも」と思った日

生徒さんたち4、5人の前で、
私はポルトガル語で話してみました。

小さな部屋に、丸い机。
椅子を寄せ合って座っていました。

日本語のテキストは机の上に開いたまま。
でもそのときは、私はあえてポルトガル語で説明してみようとしました。

本で覚えた通りの言い回しで、
できるだけ正しく言おうとして。

接続法だとか、
本に書いてある“きちんとした形”。

きっと少し、硬かったと思います。

少し間違えていたのだと思います。

その場は明るくて、
誰かがくすっと笑いました。

からかうような笑いではなく、
「ああ、惜しい」というような、やわらかい笑いでした。

私は一瞬、顔が熱くなりました。

やっぱり難しいな、と思いかけたとき。

その中の一人の女性が、
真剣な顔で言いました。

「そう言ってもいいけど、こっちのほうが分かるよ」

静かに、ゆっくり。

彼女が教えてくれたのは、
本に載っている少し難しい言い方ではなく、
いつも使っている、もっと簡単な表現でした。

接続法の未来形でも、
仮定法の形でもなく、

普段の会話でそのまま出てくる、
直接的な、やさしい言い回し。

特別な形ではなく、
日常の会話の中で自然に出てくる言い回し。

「ああ、これでいいんだ」

その瞬間、肩の力が抜けました。

正しい文法を使わなければいけない、と
どこかで思い込んでいたのかもしれません。

文法通りに話せなければ、
“できていない”のだと。

でも、会話はもっとシンプルでした。

伝わる形は、必ずしも本の形ではない。

彼女は、からかうような顔ではなく、
とても真面目な表情でした。

笑いが止んだあとも、
その目はまっすぐでした。

私が勉強してきたことを、分かっているような目で。

日本人がポルトガル語を話す大変さを、
ちゃんと理解してくれている空気がありました。

部屋の中には4、5人いましたが、
その場の雰囲気は、どこまでも明るくて、温かかった。

誰も優位に立とうとしていない。

ただ、「通じればいいよ」という空気。

だからこそ、その訂正は恥ずかしさよりも、
ありがたさのほうが強かったのです。

難しい言い方ができなくても、
話は続いていく。

間違えたら、直してくれる人がいる。

文法が完璧でなくても、
会話はちゃんと前に進む。

そのことが、何よりうれしく感じられました。

その日、私は初めて思いました。

「あ、いけるかも」

完璧じゃなくても、
この輪の中に入っていけるかもしれない。

その小さな感覚が、
大きな安心に変わっていきました。

家に招かれた日(もう一つの通じた瞬間)

リビングで笑い合う女性と友人たち
はじめて1か月ぐらい。言いたいことが伝わった。

その少しあと、
生徒さんの一人の家に招かれました。

一部屋に4、5人。

テレビがついていて、
甘い匂いが部屋に広がっていました。

大きなグラスに、たっぷりのジュース。

お菓子も大きくて、しっかり甘い。

きっと、用意してくれたのだと思うと、
その甘さが、ありがたく感じられました。

部屋を見渡していると、
テレビの上に芳香剤が置いてありました。

見覚えのある形。

私は、覚えたてのポルトガル語で言ってみました。

「それ、いい匂いだね」

彼女は笑って、

「そう、いい匂い」

と返してくれました。

私は続けました。

「でも、それ、トイレの……」

一瞬、静かになって。

次の瞬間、みんなが笑いました。

声をあげて、明るく。

私は一瞬、間違えたかと思いました。

でも違いました。

ちゃんと伝わっていたのです。

文法は完璧ではなかったと思います。

でも、意味は届いていました。

その笑いは、
「間違い」ではなく「共有」でした。

ああ、会話って、こういうことなんだ。

そう思いました。

教室での気づきが、
ここで、体の感覚として腑に落ちた気がしました。

1か月後の感覚

1か月で、流暢に話せるようになったわけではありません。

言いたいことの半分も、言えませんでした。

文法はまだあやふやで、
ときどき頭の中で止まることもありました。

それでも、確かに何かが変わっていました。

町でポルトガル語が聞こえると、
ただの音ではなくなっていました。

耳が、ひっかかる。

「あ、今の単語、知っている」

ほんの一語でも分かると、
景色の色が少し変わるような感覚がありました。

話しかけると、返ってくる。

間違えても、直してくれる。

以前は“外から見ている人”だった私が、
ほんの少しだけ、輪の中に入れている。

その感覚が、うれしかったのです。

自信、というほど大きなものではありません。

でも、不安が少し薄くなっていました。

できるようになった、というよりも、

「ここにいていい」

そう思えたことが、大きかった。

ポルトガル語が完璧になったわけではありません。

けれど、

通じた瞬間が、何度かあった。

笑い合えた瞬間が、いくつかあった。

その積み重ねが、
「あ、いけるかも」という感覚につながっていきました。

ほんの1か月。

でも、私にとっては、
世界の輪郭が少し柔らかくなった時間でした。

ポルトガル語は、ブラジルだけでなく世界各地で話されている言語です。
でも、私にとっては統計よりも、
目の前の一人と通じた瞬間のほうが大切でした。

ポルトガル語を学んで気づいたこと

最初は「プロッフェッソーラ」と呼ばれていました。

先生、という意味です。

少し距離のある呼び方でした。

でも、仲良くなるにつれて、
いつの間にか名前で呼ばれるようになりました。

「◯◯!」

教室の向こうから、自然に声が飛んでくる。

アミーゴの世界ですよね。

肩書きよりも、
まず人として向き合う空気。

先生と生徒、という関係が、
少しずつ、人と人の関係に変わっていった気がします。

それは、大きな出来事ではありません。

けれど、私の中では確かに何かが変わっていました。

外国語は、正解を言うためのものではないのかもしれません。

文法を守ることも大切です。

でも、それよりも先にあるものがある。

間違えても、誰かが教えてくれる。
笑いながら、直してくれる。

あの教室での訂正も、
家での笑いも、
どれも「失敗」ではありませんでした。

正しい文法は、あとからついてくる。

でも、名前で呼ばれたあの日のことは、
今もはっきり覚えています。

あのとき私は、
言葉の中に入れていると感じました。

夜の窓辺で静かに立つ女性
「あ、いけるかも」

1か月でペラペラになったわけではありません。

ニュースが聞き取れたわけでもありません。

それでも、

「あ、いけるかも」

そう思えたあの日から、
私の世界は、ほんの少し広がりました。

大きな変化ではありません。

ただ、昨日まで通り過ぎていた言葉が、
少しだけ近くに感じられるようになった。

スーパーで聞こえる会話が、
ただの音ではなくなった。

それだけのことです。

でも、その“それだけ”が、
私には十分でした。

もし今、外国語を学ぼうとしている人がいるなら。

きれいに話せなくても、
完璧でなくても、きっと大丈夫です。

最初の一言は、きっと震えます。

でも、その震えごと受け取ってくれる人が、
どこかにいます。

通じた、という小さな感覚は、
あとから振り返ったとき、
ちゃんと自分の中に残っています。

上手に話すことより、
一度だけ声に出してみること。

それは、完璧を目指すよりも「今できること」を選ぶという考え方に、
どこか似ているのかもしれません。
(関連記事:できない日の選び方

その一歩が、
思っているよりも静かに、
世界を近づけてくれることがあります。

読者に感謝