「何を作るか」ではなく「何ならできるか」
夕方になると、
なんとなく台所のことを考えるようになります。
冷蔵庫の中身。
今日の夕食。
明日の朝ごはん。
右手を骨折してからも、
その時間は変わりませんでした。
でも、ひとつだけ違った。
包丁を握れない。
鍋を安定して押さえられない。
“料理ができない”わけではない。
けれど、
“いつも通り”ができない。
そのズレが、思った以上に大きかったんです。
料理は毎日のこと。
しかも、体力も気力も落ちている時期。
だから私は、
「何を作ろう?」ではなく、
「何ならできる?」
と考え直すことにしました。

利き手を骨折すると、
生活は止まりません。
止まらないからこそ、
やり方を変えるしかない。
私は、左手一本で台所を回す生活を選びました。
今日は、その話を書きます。
左手だけでできる動きから、料理を組み立てる
包丁が怖くなった瞬間
右手骨折。
ギプスで固定され、力も入らない。
包丁を握ることはもちろん、
鍋を押さえることすら不安定でした。
正直に言うと、
最初は左手で包丁を持ちました。
なんとかなると思ったんです。
利き手じゃなくても、
ゆっくりやればいけるかもしれない。
そう思いたかった。
肘で野菜を押さえ、
左手で切ろうとした。
その瞬間。
がくっとなった。
野菜がずれた。
刃先が不安定になった。
心臓がひやっとしました。
「もし今、滑ったら?」
そう思ったら、
急に怖くなった。
怖かった。
「あ、これは危ない」
その日、私は包丁を置きました。
無理をしたら、もう一度けがをするかもしれない。
後遺症が残ったらどうしよう。
指が曲がったままになったら?
右手を守るために、
左手で無理をするのは違う。
包丁はだめだ。
そう決めました。

“できる動き”を考える
包丁を置いたあと、
私は少し立ち止まりました。
じゃあ、何ができる?
台所に立ったまま、
頭の中で一つずつ確認しました。
左手でできること。
・水を入れる
・かき混ぜる
・火をつける
・フライパンをコンロに置く
・鍋を“動かす”程度ならできる
右手は使わない前提で。
動きだけを、分解していく。
逆に、できないことも浮かびます。
・固い野菜を切る
・両手で押さえる作業
・重たい鍋を持ち上げる
できるか、できないか。
それだけを、静かに仕分ける。
メニューではなく、
動きで考える。
こうして並べてみると、
少し冷静になれました。
料理は「メニュー」ではなく、
“動きの組み合わせ”なんだ。
そう気づいた瞬間でした。
味噌汁は、回る

味噌汁ならいける。
水を入れる。
出汁を入れる。
豆腐を入れる。
味噌を溶く。
切る工程がなければ、回る。
そのことに気づいたとき、
「全部できなくてもいい」
と思えました。
キャベツを千切りにしなくてもいい。
凝った料理をしなくてもいい。
切らなければ、回る。
骨折中の料理は、
まさに「工程の再設計」でした。
それは不便でもあり、
少しだけ新しい発見でもありました。
洗濯も、買い物も、同じでした。
できない前提で組み立て直す。
右手が使えない日の洗濯については、こちらに詳しく書いています。
👉 骨折中の買い物どうしてた?|右手骨折で運転できなかった夏の歩き買い物の話買い物も、運転ができない夏に、歩いて回した日々の記録があります。
👉 骨折中の洗濯どうしてる?右手が使えない日のリアルな工夫と“干さない”選択
切らない野菜という選択|乾燥野菜が支えてくれた台所
「切らない方法」を探す
包丁を置いたあと、
私は「切らない方法」を探しました。
骨折中 料理。
右手 骨折 食材。
片手 料理 野菜。
検索窓に、淡々と打ち込む。
その言葉の並びが、
ちょっと切なかった。
料理の工夫を探しているのに、
まず出てくるのは「不便」ばかり。
その中で、
私の目が止まったのが乾燥野菜でした。
切ってある状態で乾燥している野菜。
「これなら、包丁いらない」
それが最初の感想でした。
すぐ買わなかった理由
すぐには買いませんでした。
お気に入りに入れて、
何度もページを見ました。
ほうれん草、にんじん、キャベツ、ごぼう、小松菜。
5種類ミックス。
原材料を見る。
添加物は?
砂糖は?
口コミは?
骨折中は、失敗したくないんです。
返品も面倒。
体力もない。
一回の失敗が、
その日の食事に直結する。
だから慎重になりました。
「これで本当に大丈夫?」
画面を閉じて、また開いて。
それを何度も繰り返しました。

初めて戻した日のこと
初めて水で戻したとき。
ボウルに入れ、
水を注ぐ。
少し待つ。
「あれ?」
「え、増える。」
思った以上に増える。
乾いていた野菜が、
ゆっくり広がっていく。
その様子を見ながら、
「これ、使えるじゃん。」
と、静かに思いました。
水に入れておくだけ。
他の準備をしている間に戻る。
時間もそれほどかからない。
包丁を持たなくていい。
それだけで、安心でした。
味と付き合う
ただ、正直に言うと少し甘い。
乾燥工程で砂糖が使われているものもあります。
私は軽く洗いました。
食感はくたっとする。
生野菜のパリッと感はない。
だから私は割り切りました。
和え物にする。
汁物にする。
戻してレンジで温め、
味ぽんで和える。
うどんやそばの具。
味噌汁の具。
パリパリを求めない。
用途を決める。
それがコツでした。
片手生活と電子レンジ
電子レンジ調理もよくやりました。
戻した乾燥野菜と薄切り肉を耐熱容器へ。
調味料を入れてレンジ。
チンして、混ぜるだけ。
洗い物が少ない。
片手生活では、これが本当に大きい。
ざるで水切りし、
キッチンペーパーの上でぎゅっと握る。
片手でも、わりといけました。
戻しすぎにも注意。
意外と増える。
「少なめ」がちょうどいい。
そんな感覚も、
少しずつ身につきました。
冷凍野菜ではなく、乾燥を選んだ理由
冷凍野菜という選択もあります。
それも、きっと正解。
でも私は夏だったこともあり、
冷凍庫はすぐいっぱい。
重い袋を持つのも大変。
リハビリ代もかかっていた時期。
できるだけ買い物の負担を減らしたかった。
常温保存できる乾燥野菜は、
その時の私には合っていました。
人によっては、
冷凍のほうが楽な場合もあると思います。
でも、
私の台所には乾燥が合っていた。
今でも買う理由
今でも乾燥キャベツを買います。
味噌汁に入れると、
あのときのことを少し思い出します。
「ああ、あれで乗り切ったな。」
あの骨折がなければ、
きっと手に取らなかった。
不便が、食材の幅を広げました。
そして、
「切らない」という選択肢を
私に教えてくれました。
骨折中に役立った道具や食材については、まとめ記事にもしています。
👉 【骨折経験から学ぶ】利き手の右手が使えない時の便利グッズ8選
健康をどうするか、少しだけ悩んだ
「食べなきゃ」と思っていた
骨折中も、
「食べなきゃ」
と思っていました。
自分のためでもあるけれど、
パートナーもいる。
ナシはだめだと思った。
体力が落ちると、
気持ちまで落ちる。
それはわかっていたから。
骨は自分でくっつけられない。
でも、できることはやる。
そう決めていました。
指が固まる朝
指のリハビリは、
曲げて伸ばす動きを繰り返しました。
朝は特に固まっている。
まっすぐにならない。
痛い。
自分の手じゃないみたいに痛い。
動かそうとすると、
つっぱるような感覚。
じん、と奥から響く。
少しさぼると、
もっと動かなくなる気がする。
「今やらないと後遺症が残る」
その焦りがありました。
曲げて、伸ばす。
曲げて、伸ばす。
ゆっくりでもいいから、
とにかく動かす。
1日1000回くらい。
正確に数えていたわけじゃない。
でも、
できるときはいつもやっていました。
テレビを見ながら。
記事を書きながら。
信号待ちのとき。
止めたら固まる気がして、
やめられなかった。
食事でできること

食事でも、できる範囲で整えました。
好きじゃないけど煮干し。
カルシウムのため。
正直に言えば、
おやつに煮干しを食べるのは
あまり楽しくない。
でも、
「今できることはやる」
その一つでした。
かかと落としもやりました。
立った状態で、
かかとを軽く落とす。
骨に刺激を入れる。
それもネットで調べた知識。
人に言われたわけではない。
自分で探して、
自分で決めた。
骨折は自分の体のことだから。
108%という数字
翌年の骨密度検査は108%。
骨折前は少し危ないと言われていたのに。
結果を見たとき、
大きな感動はありませんでした。
でも、
静かに、ほっとしました。
あの指の1000回も、
煮干しも、
かかと落としも、
無駄ではなかった。
完璧ではない。
痛みもあったし、
不安もあった。
でも、できることはやった。
それでいい。
そう思えました。
骨折から1年後の振り返りも、別の記事にまとめています。
👉 【右手骨折その後】片手生活を乗り越えた便利グッズと毎日をラクにする知恵まとめ
冷凍総菜という“休日”を作る
無理な日は、ある
それでも、
無理な日はあります。
夕食までの時間が足りない日。
外出して、気晴らしも兼ねて記事の種を探した日。
回復中は、
家にこもるより外に出たほうが楽な日もありました。
でも、帰ってくると現実がある。
夕食。
骨折中でも、
時間は止まらない。
そんな日は、
ネットで冷凍総菜を頼みました。

ふたを開けたときの現実
正直、高い。
リハビリ代もかかっていた時期。
出費は、いつも頭のどこかにありました。
届いてふたを開けると、
「あれ、思ったより量が少ない」
体にいい総菜だから、余計に少ない。
揚げ物たっぷり、というわけではない。
素材重視、栄養重視。
それはわかる。
でも、現実として、
「費用かかるなあ」
と思う。
罪悪感というより、
計算。
今月、いくら使ったか。
どこを抑えるか。
そういう思考がよぎります。
満腹感を足す工夫
だから私は、味噌汁を作りました。
乾燥野菜を入れて、
豆腐をスプーンですくって入れる。
包丁で四角く切れなくてもいい。
形が崩れてもいい。
大きさがそろっていなくてもいい。
温かい汁物が一つあるだけで、
食卓は落ち着く。
総菜は主菜。
味噌汁で満腹感を足す。
それだけで、
「足りない」は「ちょうどいい」に変わる。
片手でもできることを足していく。
それが私のやり方でした。
「ごめん」と言わなくていい日
「ごめん、今日は冷凍で」
そう言うと、
「全然いいよ」
とパートナーは言いました。
片手で頑張っていることを知っているから。
その一言で、
少し肩の力が抜ける。
本当は、
「ごめん」と言わなくてもよかったのかもしれない。
でも、言ってしまう。
それでも、
「全然いいよ」
と言ってもらえる。
それが、ありがたかった。
“休日”という考え方
これは逃げではありません。
設計です。
作れない日は、休む。
全部を自分で回そうとしない。
骨折中の台所は、
気合いではなく設計で回す。
完璧を目指さない。
できる日にやる。
できない日は頼る。
それを“休日”と呼ぶことにしました。
そう思えたとき、
台所は少しだけ楽になりました。
まとめ|左手一本でも、台所は回る

右手骨折。
台所は確かに大変でした。
包丁が怖くなり、
切れない自分に戸惑い、
「これからどうなるんだろう」
と不安になった日もありました。
でも、
包丁を置く。
切らない方法を探す。
健康はできる範囲で守る。
無理な日は休む。
一つずつ決めていけば、
生活は止まりませんでした。
全部やらなくていい。
全部できなくていい。
骨折中の料理は、
工夫と割り切りのバランス。
気合いではなく、設計。
完璧ではなく、継続。
洗濯も、買い物も、
少しずつ再設計してきました。
台所も同じです。
できない前提で組み立てる。
切らない前提で考える。
持たない前提で選ぶ。
そうやって考えると、
生活は少しだけ軽くなります。
あのとき私は、
「料理ができない」
のではなく、
「いつも通りができない」
だけだと気づきました。
そして、
いつも通りでなくても、
暮らしは続いていく。
乾燥野菜も、
味噌汁も、
冷凍総菜の日も。
どれも正解でした。
無理をしないことも、
ちゃんと選択です。
もし今、
利き手を骨折して
台所が怖い人がいたら。
まずは包丁を置いてもいい。
できる動きから始めていい。
切らない前提で考えていい。
頼っていい。
休んでいい。
台所は、ちゃんと回ります。
ゆっくりで、大丈夫です。
生活は、
思っているより、しなやかです。


