利き手を骨折して何もできないと感じた日|心が追いつかないときの向き合い方

朝のやわらかな光の中、ベッドの上で静かに座る母親と、腕の中で眠る幼い子ども。 目覚めたばかりの静かな時間に、そっと寄り添うような穏やかな表情が印象的な一枚。 骨折と暮らしの工夫
まだ動き出す前の、静かな朝。 何も起きていないようで、心だけが少し揺れている時間。
この記事は約9分で読めます。
スポンサーリンク

朝、目が覚めた瞬間に、胸の奥がざわっとした。
理由はすぐに分かった。
右手が、思うように動かない。

昨日も同じだったはずなのに、
なぜかこの日は、いつもより「できないこと」が目についた。

コップを持つのに時間がかかる。
服を着るのに手間取る。
子どもを抱き上げるのも、思ったより怖い。

「昨日までは、もう少し動けた気がするのに」

そんなふうに感じた瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。

できない自分に腹が立つわけでもなく、
誰かを責めたいわけでもない。
ただ、思っていたよりも“自分が思う自分”と“現実の自分”の差が大きかった。

その差に、心が追いつかなかった。

その日、特別な出来事があったわけではなかった。
誰かに強く言われたわけでも、失敗したわけでもない。

ただ、体が思うように動かなくて、
それをどう受け止めたらいいのかわからなかった。

「できないこと」が、ひとつ増えただけなのに、
その事実が、思っていた以上に心に重くのしかかる。

昨日までは、なんとかやれていた。
昨日までは、もう少し普通に動けていた気がする。

その“少しの差”が、
気持ちを追いつかせてくれなかった。

無理をしているつもりはないのに、
どこかでずっと力が入っている。
頑張ろうとしているわけでもないのに、
気がつくと、肩に力が入っている。

「今日は、なんだかしんどいな」

そんな言葉が、やっと心の中に浮かんできた。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

「できない」ことが増えると、心が追いつかなくなる

利き手を骨折してから、毎日の中で「できない」が少しずつ増えていった。
ある日突然、何もできなくなったわけではない。
気づけば、少しずつ、確実に増えていた。

夕方のやわらかな光が差し込む部屋で、静かに座り込み、少し俯いた表情で考えごとをしている女性。
右手をかばうように膝の上に置き、無理をせず立ち止まる時間を過ごしている様子。
「前はできていたこと」が、少しずつできなくなっていく。
その変化に気づいたとき、心もまた立ち止まっていた。

「前はできていたのに」と思う瞬間が増えていく

ペットボトルのフタが開けられない。
袋を結び直すのに、思ったより時間がかかる。
洗濯物を干すとき、片手ではうまくバランスが取れない。

どれも命に関わることではない。
誰かに助けを求めなければいけないほどでもない。

それでも、「前は普通にできていたこと」が、少しずつ難しくなっていく感覚は、思っていた以上に心に残った。

ほんの少しの違和感が、積み重なっていく。
その積み重ねが、気づかないうちに心を疲れさせていた。

こうした小さな「できない」は、実際に経験してみないと想像しづらいものかもしれません。
同じように、利き手を痛めたことで日常の動作が変わった体験については、
こちらの記事でも詳しく書いています。
▶︎ 【利き手の右手が使えない時に困ったこと・助けになったこと

「できない自分」を意識してしまう瞬間

ふとした拍子に、頭の中で言葉が浮かぶ。

「前は、こんなことで困らなかったのに」
「どうして、こんなに時間がかかるんだろう」

誰かに責められたわけでもない。
叱られたわけでもない。

それなのに、自分の中で自分を責めてしまう。

できないこと自体よりも、
“できなくなった自分”を意識してしまうことが、いちばんつらかった。

それはきっと、できていた頃の自分を知っているから。
比べなくてもいいのに、自然と比べてしまう。

似たような気持ちを抱えたときの過ごし方については、
利き手を骨折して一人で過ごす時間が増えたときの話」でも触れています。
無理に前向きにならなくていい、そんな時間の話です。

少しずつ積み重なる「焦り」と「置いていかれる感覚」

できないことが増えると、心の中に小さな焦りが生まれる。

「このままで大丈夫かな」
「ちゃんと戻れるのかな」

誰かに急かされているわけでもないのに、
自分だけが時間から取り残されているような感覚になる。

周りはいつも通りに動いている。
世界は変わらず進んでいる。

その中で、自分だけが少し立ち止まっているような気がして、
不安がじわじわと広がっていく。

“できない”と感じることは、弱さじゃない

でも、あとから少し冷静になって思った。

これは怠けているわけでも、甘えているわけでもない。
ただ、今は体も心も、少し立ち止まる時期なだけだ。

「できない」と感じるのは、
それだけ真剣に日々と向き合っている証拠でもある。

何も感じなければ、悩むことすらない。
苦しくなるのは、ちゃんと向き合っているからこそだ。

そう思えたとき、
少しだけ呼吸が楽になった。

それでも、今日を過ごせたという事実

完璧じゃなくてもいい。
思うように動けなくてもいい。

今日をなんとか過ごした。
それだけで、十分だった。

「何もできなかった日」ではなく、
「無理をしながらも一日を終えた日」。

そう言い換えるだけで、心が少し軽くなる。

できなかったことよりも、
今日を生き抜いたことに目を向けたい。

「ちゃんとしなきゃ」に縛られていた自分

特につらかったのは、
「ちゃんとしなきゃ」という気持ちが、ずっと頭の中にあったことだった。

母親なんだから。
大人なんだから。
これくらい、できて当たり前。

そんな言葉が、何度も頭の中で繰り返される。

誰かに言われたわけじゃない。
責められたわけでもない。
それでも、自分で自分にプレッシャーをかけてしまっていた。

夜の静かな部屋で、窓辺に立つ女性。
 一日の終わりに、静かに外を見つめながら、心を整えている様子。
 そばには眠っている子どもの気配があり、穏やかな時間が流れている。
一日を終えて、やっと深く息ができた夜。
できなかったことより、今日を生き抜いたことを、そっと受けとめる時間。

「ちゃんとできない自分」を許せなかった

利き手を骨折していると、
思うように体が動かない場面が増える。

それは仕方のないことなのに、
「できない自分」を受け入れるのが、なぜか一番むずかしかった。

・いつもなら、すぐ終わる家事
・考えなくてもできていた動作
・無意識にやっていたこと

それらが一つずつ引っかかって、
そのたびに「前はできていたのに」と思ってしまう。

できなくなった事実よりも、
“できない自分を認められない気持ち”のほうが、ずっと苦しかった。

「ちゃんとやらなきゃ」が頭から離れない

「ちゃんとしなきゃ」という言葉は、
いつの間にか自分を縛る言葉になっていた。

誰かに言われたわけじゃない。
怒られているわけでもない。

それでも、心の中にある“理想の自分”が、
今の自分を追い詰めてくる。

・ちゃんと家事をする自分
・ちゃんと動ける自分
・ちゃんと母親をやっている自分

そこから少しでも外れると、
「怠けている」「だらけている」と感じてしまう。

本当は、そんなふうに思う必要なんてないのに。

「できない」と認めることは、甘えじゃなかった

ふと立ち止まって考えたとき、
ようやく気づいたことがある。

今の自分は、
「できない」のではなく
「できない状況にいる」だけなんじゃないか、と。

体が回復途中なら、できないのは当然だ。
いつも通りに動けないのは、当たり前のことだ。

それを「怠け」や「甘え」と決めつける必要はない。

そう思えたとき、少しだけ肩の力が抜けた。

できない自分を責めないという選択

できない日があってもいい。
思うように動けなくてもいい。

その日をなんとかやり過ごしただけで、
十分すぎるほど頑張っている。

「今日はここまででいい」
そう思えることも、大切な力だ。

自分に向ける言葉を、少しだけやさしくする。
それだけで、心の重さは少し軽くなる。

「できない」からこそ見えたもの

できないことが増えた日々は、たしかにつらかった。
思うように動けない自分に、がっかりすることも多かった。

けれど、少しずつ気づいたこともあった。

夕方のやわらかな光が差し込む部屋で、ひとり静かに座り、少し落ち着いた表情で前を見つめる女性。包帯を巻いた右手を膝に置き、静かに呼吸を整えている。
「できない」ことを受け入れたとき、
心は少しだけ、前に進める。

当たり前だと思っていたことが、実は支えになっていた

これまで当たり前のようにできていたこと。
特別だと思っていなかった日常の動き。

それができなくなったとき、
はじめて「当たり前じゃなかったんだ」と気づいた。

誰かに声をかけてもらえること。
手を貸してもらえること。
「大丈夫?」と気にかけてもらえること。

普段なら、気にも留めなかったことが、
この時はとてもあたたかく感じた。

誰かに支えてもらうことも、立派な選択だと気づけたのは、
同じような状況を経験した人の声に触れたからだった。

実際に、片手での生活を続ける中で工夫したことや、
少しずつ前に進めた経験をまとめた記事もある。
▶︎【片手生活を乗り越えた工夫と気づき

「できない」から見えた、自分の頑張り

できなくなったことばかりに目が向いていたけれど、
よく考えてみると、できていることも確かにあった。

思うように動かない体で、
それでも一日をやり過ごしている。

思い通りにならなくても、
工夫しながら、なんとか前に進んでいる。

それは、誰かに誇れるほどのことじゃなくても、
確かに「頑張っている証」だった。

「できない日」が教えてくれたこと

できない日があったからこそ、
今まで見過ごしていた小さな変化に気づけた。

頑張りすぎていたこと。
無理を当たり前にしていたこと。
そして、自分に厳しすぎたこと。

立ち止まったからこそ、
少しだけ自分にやさしくなれた。

それでも、今日を終えられたなら十分

何もできなかったように感じる日でも、
一日を終えられたこと自体が、ひとつの前進だった。

完璧じゃなくていい。
思うように動けなくてもいい。

今日を過ごした自分を、
ほんの少しでも認めてあげられたなら、
それで十分だったと思う。

できない日があっても、前に進んでいる

夕方のやわらかな光が差し込む部屋で、静かに座り込み、少し俯いた表情で考えごとをしている女性。
右手をかばうように膝の上に置き、無理をせず立ち止まる時間を過ごしている様子。
「前はできていたこと」が、少しずつできなくなっていく。
その変化に気づいたとき、心もまた立ち止まっていた。

利き手を骨折して、思うように動けなくなった日々は、
確かに簡単なものではなかった。

これまで当たり前にできていたことが、急にできなくなる。
思っていたよりも体が言うことを聞かない。
それだけで、心まで置いていかれるような感覚になる。

でも、振り返ってみると、
その日々は決して「何もできなかった時間」ではなかった。

できないなりに工夫をして、
できる範囲で動いて、
その日の終わりまでちゃんとたどり着いていた。

それは、誰かに褒められるようなことじゃなくても、
確かに前に進んでいた証だった。

できないことが増えると、
つい「できなかったこと」ばかりに目が向いてしまう。

でも本当は、
その裏側で、ちゃんと“やっていること”もたくさんある。

無理をしない判断をしたこと。
今日はここまで、と立ち止まれたこと。
自分の体や心の声に、少し耳を傾けられたこと。

それらは全部、立派な前進だ。

心や体が疲れているときは、無理をしないことも大切だとされています。
(参考:「こころの情報サイト」:(出典:国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所)

完璧じゃなくていい。
思うようにいかなくてもいい。

「今日はこれでよし」と言える日は、
何かをあきらめた日ではなく、
自分を大切にできた日だと思う。

できない自分を責めるより、
今日ここまで生きてきた自分を、
少しだけ認めてあげてほしい。

そして、もし今、
「自分は何もできていない」と感じているなら、
それはきっと、ちゃんと向き合っている証拠だ。

何も感じなければ、悩むことすらない。
悩んでいるということは、
それだけ真剣に生きているということだから。

今日も一日、おつかれさまでした。
うまくいかない日があっても、
あなたはちゃんと前に進んでいます。

この文章が、
少しだけ肩の力を抜くきっかけになれたら嬉しいです。

同じように「うまくできない日」を過ごしている人へ、
いくつかの体験をまとめた記事もあります。

🌿骨折中の食事がつらいあなたへワンオペでご飯を作りたくない夜に

ぱせりんより

今日できなかったことより、
今日ここまで来られたことを、
そっと大事にしてほしいな。

ゆっくりでいい。
ちゃんと、あなたのペースで。

テーブルの向こうのぱせりん
またね。