訪問看護シリーズ|第3回(しおり編)
決められない時間を書いている
夕方と夜のあいだは、 いつも少しだけ落ち着かない。
窓の外がまだ明るいのに、 部屋の中はもう夕方の顔をしている。台所の電気をつけるかどうかも迷う。 つけたら「今からまだ何かやる」みたいで、つけなかったら「何もできていない」みたいで。 そんなふうに、どっちに転んでも、少しだけ自分が責められる気がしてしまう。
右手のギプスは、朝より夜のほうが重い。
夕方になる前から、 なんとなく胸の奥がざわついていた。理由ははっきりしない。 ただ、「このあと何か起きそうだな」という感覚だけが、 薄く張りついていた。 朝は「今日もやるしかない」と思って動ける。 みいちゃんが起きてきて、抱っこをせがまれて、泣いて、 笑って、また泣いて。気持ちが追いつく前に体が動く。

「できない自分」が先に意識に浮かんでしまう。
でも、 夕方。 みいちゃんの声が少し高くなる。ごはんの時間が近づく。 眠くなってくる時間。抱っこが増える。ぐずりが増える。 お茶をこぼす。おもちゃを投げる。そういう小さな出来事が、 全部「今の私には片手で受け止めきれない」ものに見える。
右手は使えない。 使ってはいけない。 ギプスの中の指は、 うまく動く気配がまだない。
だから、いつもの生活が、 ずっと“工夫”の上に乗っている。
片手で鍋を持つときの怖さ。
包丁の刃を出すときの緊張。 みいちゃんが足元に来た瞬間、 体が固まる感じ。
「もし、転んだら」 「もし、熱いものが落ちたら」
想像が増えるほど、 手は遅くなる。
しおりは、もともと「ちゃんとしたい」人だ。
ちゃんと食べさせたい。ちゃんと片づけたい。ちゃんと笑いたい。 ちゃんと、母親でいたい。
でも、骨折してからの毎日は、 ちゃんとしようとするほど、ちゃんとできない瞬間が増えた。
たとえば、みいちゃんの口を拭く。 右手が使えないから、 左手で拭く。 左手で拭きながら、みいちゃんの体を支えようとする。
みいちゃんがぐいっと動く。 しおりは一瞬だけ遅れる。
その一瞬が、怖い。
「大丈夫だった」 って、結果的には思える。
でも、その瞬間はいつも、心臓がひゅっと縮む。
だから夕方は、 体力の問題というより、緊張の積み重ねが限界に近づく時間だ。
ワンオペのつらさは、痛みより「判断」で増える
判断が途切れない一日
痛い、 という感覚は分かりやすい。 でも、しおりが苦しかったのは、 痛みよりも「判断の回数」だった。
今、火を使っていい? 今、 包丁を出していい? 今、みいちゃんから目を離していい? 今、 抱っこしてもギプスはぶつからない?
ひとつひとつは小さなこと。
でも、数が多い。
骨折する前の自分なら、考えずにやっていた。
体が勝手に動いた。
それが、今はできない。
いちいち立ち止まる。
いちいち確認する。 いちいち緊張する。
それを一日中やっている。
夕方の最小イベント|ストーブの前で

「自分の状態」を思い出す夜がある。
冬の夕方は、 冷える。 エアコンをつけていても、足元が寒い。
しおりは、 何気なくストーブのスイッチを入れた。
そのときは、 深く考えていなかった。
少し暖かくなれば、みいちゃんも落ち着く。
自分も、少し楽になる。
そう思っただけだった。
でも、 気づいたときには、みいちゃんがストーブの近くまで歩いてきていた。
小さな背中。 伸びかけた手。
「だめ!」
声が裏返る。
慌てて引き寄せる。
考える前に、体が動いていた。
右手が使えないことなんて、その瞬間は頭から抜けていた。
両腕で、反射的に抱き上げていた。
——間に合った。
火傷はしていない。
それが分かったあと、
じわっと右腕に痛みが戻ってきて、
そこで初めて「やってしまった」と思った。
足の力が抜けて、
その場にしゃがみこんだ。
しおりはしばらく動けなかった。
「何やってるんだろう、私」
自分の安易さが、急に怖くなる。
ほんの少しの油断。 ほんの一瞬の判断ミス。
それで、 取り返しがつかなくなるかもしれなかった。
胸の奥が、 ひゅっと冷える。
涙が出そうになる。
でも、声は出さない。
みいちゃんは、何も知らずに、また別の場所へ歩いていく。
しおりは、その後もしばらく胸のざわつきが消えなかった。
「今日みたいな夜、前にもあったな」
ふと、思い出す。
右手を骨折してから、 “何もできなかった夜”が、何度かあった。
ただ座っているだけで精一杯で、 ごはんも、片づけも、考えることさえ難しかった夜。
そのとき感じたのは、疲れよりも 「自分は何もしていない」という気持ちだった。
──あの夜も、きっと今日と同じように、 ちゃんと一日を終えていたのに。
(「何もできなかった夜」|子育て中、手が動かない日に感じたこと)
しおりは、立ち上がって、ストーブを消す。
その動作が、 いつもよりゆっくりになる。
目の奥が熱い。
泣いていると分かるほどではないけれど、
たぶん、少しだけ泣いたのが分かる顔をしていたと思う。
一通り、動きが落ち着いたあとだった。
何か大きなことがあったわけじゃない。
ただ、ひとつひとつに時間がかかって、
そのまま一日が過ぎていった。
片手でやろうとして、やめたこと。
あとでやろうと思って、そのままになったこと。
「今日は無理しない」と決めたはずなのに、
結局、少しずつ無理をしていた気がする。
ちゃんとやっているつもりだった。
最低限は、回していた。
でも、終わってみると、
「今日は、うまく回らなかったな」
という感覚だけが残った。
疲れている、とは思わなかった。
ただ、少し静かになりたい。
それくらいの気持ちだった。
夜、言葉が入ってくる時間
夜になると、部屋が急に静かになる。
みいちゃんの動きがゆっくりになって、
テレビの音も小さくして、
家の中に、余白ができる。
その余白に、
昼間は見ないようにしていたものが、
すっと入り込んでくる。
「ああ、私、疲れてたんだ」
夕方までは気づかなかった。
動いている間は、考えなくて済んでいた。
立ち止まった瞬間、
体より先に、心のほうが先に力を抜いた。

夜、ゆうたは「見ていた」
ゆうたが帰ってくるのは、だいたいみいちゃんの機嫌がいちばん揺れる時間だ。
玄関が開く音がすると、しおりは反射的に背筋を伸ばす。
「おかえり」
声は普通に出る。 いつもの自分みたいに。
ゆうたは、疲れた顔で靴を脱いで、手を洗って、部屋に入ってくる。
しおりは、言いたいことがたくさんある。
今日、怖かったこと。
一瞬、判断が遅れたこと。
考える前に、体が動いてしまったこと。
そして、そのあとで、
自分の状態を思い出したこと。
ごはんを作れなかったこと。
でも、言わない。
言ったら、 崩れそうだから。 言ったら、泣きそうだから。
「大丈夫」
その言葉が、 習慣みたいに口に乗る。
ゆうたは、それをうなずいて、 みいちゃんを抱っこする。 しおりの抱っこより、ずっと安定した腕。
みいちゃんが安心した顔になる。
それを見た瞬間、 しおりの胸が少しだけゆるむ。
同時に、自分がどれだけ緊張していたかにも気づく。
ゆうたは、何も言わない。 励ましもしない。 正論も言わない。
ただ、部屋の隅の散らかりを見て、そっと片づける。
テーブルの上に、飲み物を置く。 みいちゃんの食べこぼしを拭く。
それだけ。
しおりは、何も言わないまま、台所に立つ。
“ありがとう”と言うと、弱さを認めるみたいで。
“助けて”と言うと、 迷惑をかけるみたいで。
どちらも、怖い。
でも、 ゆうたは見ている。
しおりが右手をかばって、片手だけでやっていること。
焦ると、動きが少し荒くなること。
夕方になると、目が少し曇ること。
そして、言葉よりも先に、空気で気づいている。
「今日は、 疲れてる日だ」
その判断を、ゆうたは口にしない。 しおりが“頑張らなきゃ”に戻ってしまうことを、 たぶん知っている。
だから、何も言わずに、できることだけをする。
その距離感が、しおりにはまだ難しい。
支えられているのに、 支えられていると認めるのが怖い。
「訪問看護(メンタル)」という言葉を、知っただけの夜

今夜は全部を一人で処理しなくていい気がした。
みいちゃんが眠った。 家の音が、やっと少なくなる。
洗い物は残っている。 洗濯物も残っている。 明日の準備も、 完璧ではない。
でも、今日はもう、立てない。
しおりはソファに座って、 スマートフォンを手に取る。
検索窓に、言葉を入れる。
「夜 不安」 「ワンオペ 限界」 「骨折 メンタル」
画面が明るすぎて、 少し目が痛い。 それでも、指は動く。
ページを開いて、 少し読んで、閉じる。
読んでいるのに、読んでいない。
分かっているのに、決められない。
そのとき、たまたま目に入った言葉があった。
実は、こうして夜に検索するのは、 今回が初めてではなかった。
右手を骨折したばかりの頃、 「この生活、いつまで続くんだろう」と不安になり、 いくつかの記事を読んだことがある。
片手での生活。 作れない日があること。 頼れない夜があること。
それらが「よくあること」として書かれているだけで、 心が少し軽くなった経験があった。
だから、 今回も無意識のうちに、 “言葉を探していた”のかもしれない。
そんな流れの中で、 目に留まったのが、 訪問看護(メンタル) という言葉だった。
以前、 「訪問看護という言葉を知って、 夜の不安が少し軽くなった」という体験談を読んだことがある。
その記事は、 使う・使わないを勧めるものではなく、 ただ「こういう選択肢がある」と静かに置いてあった。
(訪問看護(メンタル)という言葉を知って、夜の不安が少し軽くなった話)
訪問看護(メンタル)。
正直に言うと、 最初は戸惑った。
「訪問看護?」 「メンタル?」
自分とは関係ない場所の言葉みたいに感じた。
病気の人が使うもの。 大変な人が使うもの。
私は、 そこまでじゃない。
そう思って、すぐにページを閉じた。
でも、その言葉が頭に残った。
残ったまま、しおりは少しだけ呼吸がしやすくなった。
不思議だった。
何もしていない。 申し込みも、 相談もしていない。 ただ、言葉を知っただけ。
それなのに、 心のどこかが 「今夜、全部を一人で処理しなくていい」 と言っているみたいだった。
しおりは、自分の中にある“ハードル”を見つける。
「若いのに、頼っていいのかな」 「もっと大変な人が使うものなんじゃないかな」
頭では、 比べるものじゃないと分かっている。 でも、気持ちが追いつかない。
それは、骨折してから増えた 「できない」「頼れない」 の延長線にあった。
片手でうまくできないことが増える。 それでも、何とかしようとする。
その流れのまま、気持ちのことまで“自分で処理しよう”としてしまう。
しおりは、画面を見つめながら思う。
「私は、決められない時間にいるんだな」
決められない。
でも、考えている。
それだけで、今日は十分なのかもしれない。
そのとき。 テーブルの端のほうに、 小さな緑の影がある気がした。
ぱせりん。
大きくは見えない。 目立たない。
笑ってもいない。
手も振らない。
ただ、そこにいる。
しおりが「どうしよう」と考えている時間に、
同じ部屋の片隅で、何もしないまま同席している。
“励まし”はない。
“答え”もない。
でも、その静けさが、しおりには合っていた。
まとめ|決めなくていい夜は、失敗じゃない

決めなくていい夜も、ちゃんと一日。
この夜、 しおりは何も変えていない。
申し込みもしていない。
連絡もしていない。
夕飯が完璧だったわけでもない。
部屋が片づいたわけでもない。
でも、みいちゃんは眠った。
今日も無事に一日が終わった。
そして、しおりの中にひとつだけ増えたものがある。
「そういう言葉がある」 という事実。
それは、 今すぐ使うためのものじゃなくてもいい。
“選択肢として存在する” と知れただけで、
心の中に、小さな逃げ道がひとつ増えることがある。
しおりは、 スマートフォンを伏せて置く。
ぱせりんは相変わらず、 何もしない。 表情も変わらない。
ただ、同じ夜にいる。
ゆうたが、部屋の灯りを少しだけ落とす。 「おやすみ」 と言って、 みいちゃんの寝顔を確認する。
しおりは、その背中を見て、 ようやく息を吐く。
今日は、決めなくていい。
知れたから、 今日は合格。
それくらいで、ちょうどいい夜もある。
しおりは、 「訪問看護」という言葉を、 まだ自分の生活に当てはめてはいない。
ただ、 “使うかどうかを決めなくていい言葉” として、 心の片隅に置いただけだ。
以前読んだ記事の中に、 こんな一文があった。
「来なくなった人を、責めなくていい」
その言葉は、 通うのをやめた人のためのものだったけれど、 しおりには、 “立ち止まっている自分”を許す言葉のようにも聞こえた。
(リハビリに来なくなった人を、責めなくていい|訪問看護という言葉を知った日)
決めない時間も、 ちゃんと意味を持っている。
そう思えた夜は、 それだけで少し、呼吸が楽になる。
関連として置いておきます(今夜の気持ちの近くに)
公的な概要
- 厚生労働省:訪問看護の関連ページ(医療保険)(出典:厚生労働省)





